モイmoy
蓮の台座に座る僧の姿の八幡神。右手に錫杖、左手に数珠を持ち、膝の上で2羽の白い鳩が向かい合う。背後に弓矢と朱の社殿
神さま図鑑 No.022

八幡神(はちまんしん)

八幡さま・人から神へ

記紀に名のない神が、日本中の鎮守になるまで

  • 厄除け・開運
  • 勝運・スポーツ
  • 夫婦円満・家内安全
  • 旅・交通安全・海
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ひと目でわかる八幡さま

よみはちまんしん(やはたのかみとも)
別名八幡大神、八幡大菩薩、誉田別尊(応神天皇)、弓矢八幡
神格応神天皇の神霊とされる神。国家鎮護・武運の神で、神仏習合では菩薩とも
おもなご利益厄除開運・勝運・家内安全・交通安全
神使・ゆかりの生き物鳩
おもな神社宇佐神宮(大分県・総本宮)、石清水八幡宮(京都府)、鶴岡八幡宮(神奈川県)
家族応神天皇として父・仲哀天皇、母・神功皇后。宇佐神宮では比売大神・神功皇后とともにまつられる
登場する書物『続日本紀』、『八幡宇佐宮御託宣集』。応神天皇としては『古事記』中巻・『日本書紀』巻第十

原文で読むひとこと

我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿(ひろはたのやはたまろ)なり。
『八幡宇佐宮御託宣集』(宇佐神宮による書き下し)

わたしは日本の人の代の第16代の天皇、誉田天皇であり、広幡の八幡麿である。菱形池のほとりで竹の葉の上に立った3歳の童子が、こう名のったと伝えられます。いまの数え方では応神天皇は第15代ですが、かつては神功皇后を歴代の天皇に数えたため、第16代となっています。

どんな神さま?

八幡神(はちまんしん)は、全国の「八幡さま」にまつられる神で、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本宮とします。宇佐神宮は八幡大神を第15代応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)の神霊とし、比売大神(ひめおおかみ)、応神天皇の母・神功皇后とあわせて3柱をまつっています。宇佐神宮によれば、全国の八幡さまは4万社あまりにのぼります。

ところが『古事記』にも『日本書紀』にも、「八幡神」という名の神は出てきません。国の歴史書に名が見える早い例は、『続日本紀』の天平9年(737年)、新羅の無礼を伊勢神宮などに報告した記事の「八幡二社」です。九州・宇佐の神だった八幡神は、東大寺の大仏造りを助けると託宣して都に迎えられ、「大菩薩」の名を贈られて仏の世界でも拝まれ、源氏の氏神となって全国へ広がりました。神話の神というより、歴史のなかで大きくなっていった神さまです。

神話のなかの八幡さま

母の胎内で約束された国(応神天皇の誕生)

八幡神と重ねられる応神天皇の物語は、古事記の中巻で語られます。仲哀天皇が筑紫の訶志比(かしい)の宮にいたとき、神功皇后に神が懸かり、西に金銀の豊かな国があり、それを授けようと告げます。天皇は疑って琴をひく手を止め、まもなく亡くなりました。ふたたび神の意を問うと、神は「およそこの国は、汝命(いましみこと)の御腹にます御子の知らさむ国なり」と告げ、その御子は男子で、託宣の主は天照大御神の御心と住吉の3柱の神だと明かします。応神天皇は、生まれる前から国を治めると定められた子として登場するのです。

石を巻いて遅らせた出産と、宇美の地

神託に従って海を渡った神功皇后は、その途中で産み月を迎えてしまいます。古事記によると、皇后は御腹を鎮めようと石を裳の腰に巻きつけ、筑紫の国に戻ってから御子を生みました。その地は「宇美(うみ)」と名づけられ、裳に巻いた石は筑紫の伊斗(いと)の村にあると古事記は記します。日本書紀は、皇后が新羅に向かった年の12月、御子は「筑紫の蚊田(かだ)」で生まれたとします。宇佐神宮の歴史年表も、応神天皇の筑紫の宇美での誕生を、八幡の歩みの最初のほうに置いています。

宇佐に現れた3歳の童子

八幡神そのものが現れた場面を語るのは、記紀ではなく宇佐の伝えです。鎌倉時代の後半に宇佐の弥勒寺の僧・神吽(じんうん)がまとめた『八幡宇佐宮御託宣集』によると、欽明天皇32年(571年)、宇佐の菱形池のほとりに、ただならぬ姿の鍛冶の翁がいました。大神比義(おおがのひぎ)が3年のあいだ穀物を断って祈り、「もし神ならば、わが前に姿を現したまえ」と願うと、翁は3歳の童子となって竹の葉の上に立ち、自らを誉田天皇の霊だと名のったといいます。その霊泉は、いまも宇佐神宮の上宮の裏手に「御霊水」として残っています。

大仏を助ける託宣と、紫の輿

奈良時代、聖武天皇が東大寺の大仏造立を進めていたころ、宇佐の八幡神は、天の神・地の神を率い、銅の湯を水に変え、わが身を草木や土にまじえてでも造立を成しとげさせようと、協力の託宣を下しました。天平勝宝元年(749年)12月、八幡大神の禰宜で尼の大神杜女(おおがのもりめ)は、天皇の用いる紫の輿に乗って東大寺を拝し、八幡大神には一品(いっぽん)の位が贈られます(『続日本紀』)。同じころ東大寺の守り神として宇佐から迎えられたのが、手向山八幡宮の始まりと伝えられます。

古事記と日本書紀のちがい

まず押さえておきたいのは、記紀には八幡神が登場しないことです。八幡神と結びつけられた応神天皇は、古事記では中巻の「品陀和気命(ほむだわけのみこと)」、日本書紀では巻第十の「誉田天皇(ほむたのすめらみこと)」として、人の代の天皇の物語のなかに描かれます。宇佐という地名は記紀にも出てきます。神武天皇の東征では、宇佐の宇沙都比古・宇沙都比売(日本書紀では菟狭津彦・菟狭津媛)が宮を建てて天皇をもてなし、日本書紀の第六段一書第三には、天照大神が生んだ3柱の女神を葦原中国の宇佐嶋に降らせたとあります。けれど、どちらにも八幡の名はありません。

誕生の地と名前の由来にも違いがあります。古事記は生まれた地を「宇美」とし、名前については、生まれたとき腕に鞆(とも=弓を射るとき左の腕に着ける革の道具)のような肉が盛り上がっていたので「大鞆和気命(おおともわけのみこと)」と名づけ、またの名を品陀和気命としたと説明します。日本書紀は生まれた地を「筑紫の蚊田」とし、腕の肉が鞆の形をしていたのは、男装して鞆を着けた皇后の姿に似たためで、昔の言葉で鞆を「ほむた」といったので誉田天皇と呼んだと記します。同じ鞆の話を、古事記は「おおとも」、日本書紀は「ほむた」の名に結びつけているのです。

古事記にだけ詳しく語られる場面もあります。太子は建内宿禰(たけうちのすくね)に連れられて禊に出かけ、越の角鹿(つぬが・いまの敦賀)で、伊奢沙和気大神(いざさわけのおおかみ)から夢のなかで名前の交換を申し出られます。翌朝の浜には鼻に傷のある入鹿魚(いるか)が浦いっぱいに寄せられ、この神は御食津大神(みけつおおかみ)とたたえられて、いまの気比大神になったといいます。日本書紀はこの話を「一云」として注に載せ、それならば大神のもとの名が誉田別神、太子のもとの名が去来紗別尊(いざさわけのみこと)となるが、確かめられないと編者みずから書き添えています。

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姿のひみつ

この絵は、東大寺に伝わる快慶作の僧形八幡神坐像(建仁元年=1201年、国宝)にならい、頭を剃った穏やかな僧の姿で八幡神を描いています。神と仏をあわせて拝んだ時代、八幡大菩薩は僧の姿で表されました。鎧をまとった武将の姿は、この図鑑では確かな古い作例を確かめられなかったことと、八幡太郎と呼ばれた源義家の像との混同を避けるために描いていません。

  • 剃髪した穏やかな僧の姿と、袈裟

    僧形八幡は、頭を剃り、袈裟を着けて蓮華座に坐る僧の姿で表されます。平安時代に神仏習合の考えから生まれた姿で、最古の遺品は京都・東寺の像、それに次ぐのが奈良・薬師寺の休ヶ岡(やすみがおか)八幡宮の像とされます。快慶の像は、制作当初の彩色が鮮やかに残る代表作です。

    『日本大百科全書』『ブリタニカ国際大百科事典』「僧形八幡神像」

  • 右手の錫杖と、左手の数珠

    錫杖は頭に輪のついた僧の杖、数珠は経や念仏を唱えるときに手にするものです。改訂新版 世界大百科事典は、僧形八幡を「左手に念珠、右手に錫杖をもつ」姿と説明しており、絵もこの定型にならっています。

    『改訂新版 世界大百科事典』「僧形八幡」

  • 蓮の台座と、頭のうしろの円光

    同じ事典は、僧形八幡が赤い蓮華に坐り、日輪をいただくとも記します。八幡神は天応元年(781年)に「護国霊験威力神通大菩薩」の号を贈られ、神でありながら菩薩としても拝まれました。蓮台と円光は、その仏の世界での姿を表しています。

    『改訂新版 世界大百科事典』「僧形八幡」「八幡信仰」

  • 向かい合う2羽の白い鳩

    鳩は八幡神のお使いとされます。石清水八幡宮には、寛治5年(1091年)に源義家の寝室へ山鳩が飛びこんで死んだとき、義家が「山鳩は八幡神の御使い」として翌日石清水に剣と馬を奉ったという話が伝わります。鶴岡八幡宮の楼門に掲げられた額は、「八」の字が向かい合う2羽の鳩の形に書かれていることで知られます。

    石清水八幡宮 公式サイト「石清水八幡宮にまつわる話」

  • 台に立てかけた弓矢と、松・朱の社殿

    源氏をはじめ全国の武士は、八幡神を武運の神「弓矢八幡」としてあがめました。腕に鞆の形の肉を持って生まれたという記紀の誕生の話も、八幡と弓を結びつけます。僧の姿の神は武具を手にしないため、弓矢は台に立てかけ、八幡宮の境内を思わせる松と朱の社殿とともに描きました。

    宇佐神宮 公式サイト「ご祭神」/『古事記』中巻・『日本書紀』巻第十

ご利益と信仰

八幡神と仏教の結びつきは早くから始まります。宇佐では、養老4年(720年)に大隅・日向の隼人との戦いへ神輿で出陣した八幡神が、多くの命を奪った報いとして、毎年放生会(生きものを放って命をいつくしむ法会)を行うよう託宣したと伝えます。境内には神宮寺の弥勒寺が建てられ、天応元年(781年)には「護国霊験威力神通大菩薩」の号が贈られました。改訂新版 世界大百科事典は、これを神仏習合の先駆としています。

都とのつながりも深まります。神護景雲3年(769年)、僧・道鏡が皇位をうかがったときには、和気清麻呂が勅使として宇佐に遣わされ、その野望を退ける神託を持ち帰りました。貞観元年(859年)には大安寺の僧・行教が宇佐で「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との託宣を受け、京都の男山に八幡神をまつります。これが石清水八幡宮です。宇佐と石清水の八幡宮は、伊勢の神宮につぐ「第二の宗廟」として皇室からあつく崇敬されました。

八幡神を全国へ広めたのは武士でした。源頼信は永承元年(1046年)、応神天皇を22代前の祖先として御陵に願文をささげ、孫の義家は石清水八幡宮で元服して「八幡太郎」と名のります。源頼義が鎌倉の由比ヶ浜にまつった八幡を、源頼朝は治承4年(1180年)に現在地へ遷し、鶴岡八幡宮として幕府の守り神としました。日本大百科全書は、中世の武士の崇敬を受けて「神は八幡」といわれ、全国に勧請されたと記しています。

いまの八幡さまは、厄除開運や家内安全、交通安全、勝運を願う人が多い神さまです。石清水八幡宮には、邪気を打ち破る八幡大神の神器として矢をかたどった「八幡御神矢」が古くから伝わり、厄除けのおふだとして授けられています。宇佐神宮では、出雲大社と同じく二礼四拍手一礼で拝礼します。

会いに行ける神社

  • 宇佐神宮(うさじんぐう)

    大分県宇佐市

    全国の八幡さまの総本宮。神亀2年(725年)創建と伝え、八幡大神・比売大神・神功皇后をまつる。八幡造の本殿は国宝。

  • 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)

    京都府八幡市

    貞観元年(859年)、行教が宇佐の託宣を受けて男山にまつった。本殿は現存する八幡造で最古かつ最大規模の国宝。

  • 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)

    神奈川県鎌倉市

    源頼義が由比ヶ浜にまつった石清水の分霊を、治承4年(1180年)に源頼朝が現在地へ遷した。武家の都・鎌倉の中心。

  • 手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)

    奈良県奈良市

    大仏造立のころ、東大寺の守り神として宇佐から迎えられた社。絵の手本にした快慶の僧形八幡神坐像は、もとこの社の神体。

家系図のなかの八幡さま

宇佐神宮の二之御殿にまつる比売大神は、多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命の三女神とされ、八幡神が現れる以前からの土地の神と伝えられます。三之御殿の神功皇后は応神天皇の母です。

よくある質問

八幡さまはなぜ全国にあるの?
宇佐神宮は全国の八幡さまを4万社あまりとしています。大きなきっかけは、平安時代に源氏が八幡神を氏神とあがめたことです。石清水八幡宮は、源氏一門の崇敬によって武神・弓矢の神としての信仰が強まり、宇佐から石清水、鶴岡へとつながる勧請が各地に広がったとしています。中世には「神は八幡」といわれるほど勧請が進み、村や町を守る鎮守の神としても各地に迎えられていきました。
八幡さまと応神天皇は同じ神さま?
宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮は、八幡大神を応神天皇(誉田別尊)の神霊としてまつっています。ただし記紀には八幡神の名がなく、両者を重ねたのは後の信仰です。平安時代の半ばには源頼信が応神天皇を祖先として御陵に願文をささげており、鎌倉時代の『八幡宇佐宮御託宣集』では、八幡神自身が誉田天皇だと名のったと語られています。
八幡さまはなぜ「大菩薩」と呼ばれるの?
八幡神は早くから仏教と結びつき、天応元年(781年)に「護国霊験威力神通大菩薩」の号を贈られました。延暦2年(783年)の託宣では、自らを「大自在王菩薩」とも名のったと伝わります。明治元年(1868年)の神仏分離で宇佐の弥勒寺は廃され、快慶作の僧形八幡神坐像が手向山八幡宮から東大寺へ移されたのも、この流れのなかでのことでした。
僧の姿の八幡さまはどこで見られる?
この絵の手本にした快慶作の僧形八幡神坐像(国宝)は、東大寺の勧進所八幡殿に安置され、毎年10月5日にだけ公開されます。この日は、もとこの像をまつっていた手向山八幡宮の例祭・転害会(てがいえ)の日でもあります。奈良の薬師寺に伝わる平安時代の僧形八幡神像も、古い作例として知られています。

出典・参考資料

  • 『続日本紀』
  • 『古事記』中巻(武田祐吉校註)
  • 『日本書紀』巻第十(応神天皇)
  • 『八幡宇佐宮御託宣集』
  • 宇佐神宮 公式サイト
  • 石清水八幡宮 公式サイト
  • 鶴岡八幡宮 公式サイト
  • 國學院大學デジタルミュージアム「神道・神社史料集成」八幡大菩薩宇佐宮
  • 『改訂新版 世界大百科事典』「僧形八幡」「八幡信仰」
  • 『日本大百科全書』「八幡信仰」「僧形八幡神像」

神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。

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