
ひと目でわかるアマテラス
| よみ | あまてらすおおみかみ |
|---|---|
| 別名 | 天照大神・日神・大日孁貴(おおひるめのむち) |
| 神格 | 太陽の神・高天原をおさめる神・皇室の祖先神 |
| おもなご利益 | 国の平安・五穀豊穣・開運 |
| 神使・ゆかりの生き物 | 鶏(常世の長鳴鳥) |
| おもな神社 | 伊勢神宮 内宮(皇大神宮) |
| 家族 | 父 伊邪那岐命/弟 月読命・須佐之男命/子 天之忍穂耳命ほか/孫 邇邇芸命 |
| 登場する書物 | 『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『皇太神宮儀式帳』 |
原文で読むひとこと
是の神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜し国なり。是の国に居らむと欲ふ
神風の吹くこの伊勢の国は、常世から波が幾重にも寄せては返す国、大和のかたわらの美しい国である。この国にとどまりたい。——鎮まる地を求めて旅をした倭姫命に、大御神が告げたことばです。
どんな神さま?
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、高天原(たかまのはら)をおさめる日の神です。この神が岩屋に身を隠すと天も地も闇に沈み、岩屋から出ると高天原と葦原中国(あしはらのなかつくに)が「おのづから照り明りき」と『古事記』は語ります。神話の筋書きそのものが、この神を世界を照らす光として描いているのです。
もうひとつの顔は、皇室の祖先神(皇祖神)としての姿です。孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)を地上へ降して国をおさめさせたことから天皇の祖とされ、伊勢の内宮(皇大神宮)に鎮まっています。その伊勢との結びつきは、鏡をめぐる神話のなかですでに語られています。
『日本書紀』では日神(ひのかみ)、大日孁貴(おおひるめのむち)とも呼ばれます。「ひるめ」は「日の女」などと解され、男の髪型に結い直して武装する場面があることからも、古くから女神として受けとめられてきました。
神話のなかのアマテラス
黄泉のけがれを清めた水から生まれる
妻を追って黄泉の国へ行き、逃げ帰った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、筑紫の日向の阿波岐原で水に入り、身についたけがれを洗い流しました。次々に神が生まれた禊の締めくくりに、左の目をすすいだところから現れたのが天照大御神です。続く右の目と鼻からは、弟の月読命と須佐之男命が生まれました。
父はそれまで首にかけていた玉飾りを外し、玉の緒が触れ合って鳴るほどに揺らして天照大御神に手渡すと、「汝が命は高天の原を知らせ」と高天原の統治をゆだねます。玉飾りの名は御倉板挙之神(みくらたなのかみ)。武田祐吉の注では、棚の上に安置される神霊を表す名です。光の神の出発には、はじめから玉が添えられていたのです。
男の姿で弟を迎える——誓約(うけい)
海原をおさめずに泣き続けた須佐之男命が、別れを告げに高天原へ上ってくると、山も川もとどろき、国土が揺れました。天照大御神は国を奪いに来たのではと疑い、髪をほどいて男の髪型の美豆良(みずら)に結い直し、背には1000本の矢が入る靫(ゆき)を負い、腕に高鞆(たかとも)をつけ、弓を振り立てて、固い地面に股まで踏み込んで待ち構えました。
身の潔白を示すため、ふたりは天の安の河をはさんで誓約を行います。天照大御神が弟の剣をかみ砕いて吹き出した霧から3柱の女神が、弟が姉の勾玉をかみ砕いた霧から5柱の男神が生まれました。天照大御神は、もとは自分の玉だから5柱の男神はわが子だと定めます。その長男・天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の子が、のちに地上へ降る邇邇芸命です。
天岩戸——闇から光が戻るまで
勝ったと言い張る須佐之男命は田の畔を壊し、溝を埋め、神殿を汚しました。天照大御神ははじめ、酒に酔って吐いたのだろう、土地を惜しんだのだろうと弟をかばいます。しかし神の衣を織る機屋(はたや)に皮をはいだ馬が投げ込まれ、織女が命を落とすと、ついに天の石屋戸にこもってしまいました。
闇の世界に災いが満ちるなか、八百万の神は思金神(おもいかねのかみ)の考えで常世の長鳴鳥を鳴かせ、榊に勾玉と鏡を掛けて祈ります。天宇受売命(あめのうずめのみこと)が伏せた槽(うけ)を踏み鳴らして舞い、神々がどっと笑うと、いぶかしんだ天照大御神が戸を細く開けました。そこへ鏡が差し出され、身を乗り出したところを天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が手を取って引き出したのです。
『古語拾遺』は、光が戻ったとき神々の顔がみな明るく白く照らされ、「あな、おもしろ」と声をあげたと伝えます。「おもしろ」を、面(おもて)が白く輝くさまに結びつけた古い説明です。
鏡を孫に託す——天孫降臨
やがて天照大御神は、高木神とともに孫の邇邇芸命を地上へ降します。岩戸の前で用いた勾玉と鏡、須佐之男命が献じた草薙の剣を授け、こう命じました。「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が御前を拝くがごと、斎きまつれ」——この鏡をわたしの魂とみて、わたしを拝むようにまつりなさい。
『古事記』はこのすぐあとに、伊勢の「五十鈴の宮」の名を記しています。岩戸を開くために作られた鏡が、ここで天照大御神その人の依りどころへと役目を変えたのです。
古事記と日本書紀のちがい
生まれ方の伝えは一様ではありません。『古事記』は伊邪那岐命ひとりの禊から生まれたとしますが、『日本書紀』の本文(第五段)では父母の二神のあいだに日神として生まれ、その光が天地のすみずみまで照り通るほどだったので、この国に長くとどめず天上へ送ったと語ります。名も大日孁貴とされ、一書第一では伊弉諾尊が左手に持った白銅鏡から大日孁尊が現れ、一書第六は『古事記』と同じく左目からの誕生です。
誓約と天岩戸の場面にも違いがあります。『古事記』の須佐之男命は、自分の剣からやさしい女神が生まれたのは心が清いからだと勝ちを名のりますが、『日本書紀』本文では、男が生まれれば清い心、女なら濁った心という約束が先に交わされています。機屋の事件で傷つくのも、『古事記』では織女、『日本書紀』本文では天照大御神自身(梭で身を傷つける)、第七段の一書第一では稚日女尊(わかひるめのみこと)と書物ごとに異なります。
天孫降臨の命令役も同じではありません。『古事記』では天照大御神と高木神がともに命じますが、『日本書紀』本文(第九段)で孫を降すのは高皇産霊尊で、三種の宝物も出てきません。天照大御神が勾玉・鏡・剣を授けて、国が天地とともに永く栄えると告げるのは一書第一、手に宝鏡を持って「この鏡を見ることは、わたしを見ることと同じと思いなさい」と授けるのは一書第二の伝えです。
家系図で二つの書物を切りかえて見る →姿のひみつ
この絵は、天岩戸から光が戻る瞬間と、鏡を孫に託す場面を重ねた象徴的な肖像です。『古事記』で岩屋の前に鏡を差し出したのは天児屋命と布刀玉命ですが、ここでは『日本書紀』第九段の一書第二で天照大御神が自ら宝鏡を手に持つ姿にならいました。後の時代の絵では平安時代の宮廷装束で描かれることもありますが、『皇太神宮儀式帳』に並ぶ衣・裳・領巾はそれより古い装いなので、埴輪に残る古墳時代の女性の姿を手本にしています。
手に持つ丸い銅鏡
古代の銅鏡は、鏡面の裏の中心にある鈕(ちゅう)というつまみに紐を通して扱いました。絵でも裏側の鈕が見えるように描いています。『古語拾遺』は岩戸開きのために鋳た鏡を「日像之鏡」、つまり日の姿をかたどった鏡と呼びます。その鏡が天孫降臨では、大御神の御魂そのものとして孫に託されました。
『古事記』上巻(天孫降臨)/『日本書紀』第九段 一書第二
岩屋の入口からあふれる金色の光
『日本書紀』本文は生まれた日神を「光華明彩しく、六合の内に照り徹らせり」とたたえ、『古事記』は岩屋から出た大御神によって天地が照らされたと語ります。光の源は天照大御神その人なので、仏像の光背のような輪や放射する線は描かず、岩屋からこぼれるやわらかな金色で表しました。
『日本書紀』第五段 本文/『古事記』上巻(天の岩戸)
勾玉の首飾り・腕飾りと葉の冠
伊邪那岐命は高天原をゆだねるとき、首の玉飾りを天照大御神に授けました。誓約の場面では、髪にも鬘(かずら)にも左右の腕にも勾玉の連なりを巻いていたと記紀がそろって記します。頭の葉の冠は、つる草や葉で作る髪飾りの鬘にあたります。勾玉は古代に珍重された翡翠の緑にしました。
『古事記』上巻(身禊・誓約)/『日本書紀』第六段 本文
白い衣と透ける紫の裳、白い領巾
延暦23年(804年)の『皇太神宮儀式帳』には、大御神のために調える装束として、白い絹の「帛御衣」、紫の薄絹の「紫羅御裳」、生絹の「御比礼」などが並びます。衣の白と裳の透ける紫はこの記録によりました。裳や領巾は女性の装いで、女神としての姿を裏づける手がかりにもなっています。
『皇太神宮儀式帳』(804年)
勾玉と白い布をかけた榊の枝
岩屋の前で神々は、天の香山から根ごと掘ってきた真賢木(まさかき)の上の枝に勾玉の連なり、中の枝に鏡、下の枝に白和幣と青和幣を掛けました。白和幣は楮(こうぞ)、青和幣は麻の布で、真賢木はいまのサカキに限らない常緑の木をさすとされます。絵では鏡を手に持たせたため、枝には玉と白い布を残しています。
『古事記』上巻(天の岩戸)・武田祐吉注
足もとで鳴く鶏
岩戸開きの最初の手立ては、常世の長鳴鳥を集めて鳴かせることでした。武田祐吉はこの鳥を鶏と注しています。朝を告げる声で、日の神の出現をうながしたと読めます。伊勢の内宮の神苑でも、神鶏と呼ばれる鶏の姿が見られることがあります。
『古事記』上巻(天の岩戸)/『日本書紀』第七段 本文
ご利益と信仰
天照大御神は、はじめ宮中で天皇と同じ御殿にまつられていました。『日本書紀』によると、崇神天皇はその神威をおそれて皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託し、大和の笠縫邑でまつらせます。次の垂仁天皇の代には倭姫命(やまとひめのみこと)が鎮まる地を求めて各地をめぐり、伊勢に至ったところで大御神が「この国に居たい」と告げたため、五十鈴川のほとりに宮が建てられました。『皇太神宮儀式帳』には、ふたりの皇女がめぐった地が14か所記されています。
伊勢の神宮には古く、天皇以外が幣帛(へいはく)を供えることを禁じる私幣禁断の定めがありました。それでも参拝そのものは禁じられず、やがて御師(おんし)と呼ばれる人々が全国の家々をまわってお札を配り、伊勢参りの宿や案内を引き受けるようになります。神宮の公式サイトによれば、江戸時代の檀家調べに記された家は当時の総戸数の約9割にのぼったといいます。
機屋で神の衣を織らせていた神話は、いまも祭りに生きています。5月と10月の神御衣祭(かんみそさい)では、絹の和妙(にぎたえ)と麻の荒妙(あらたえ)が、高天原の古事にちなんで奉られます。また持統天皇4年(690年)からは、20年に一度社殿を新しくして大御神に新しい宮へ遷っていただく式年遷宮が続き、平成25年(2013年)に62回目が行われました。
ご利益としては、国の平安や五穀豊穣を祈る神とされます。『日本書紀』で、高天原の田を営み、地上へ降る子孫に斎庭(ゆにわ)の稲穂を託した神だからです。闇を破って光が戻る天岩戸の物語にちなみ、開運を願って参拝する人も多い神さまです。
会いに行ける神社
伊勢神宮 内宮(皇大神宮)
三重県伊勢市宇治館町
五十鈴川のほとりに鎮まる天照大御神の正宮。垂仁天皇の代から続くと伝わり、20年ごとに式年遷宮が行われます。
檜原神社(大神神社摂社)
奈良県桜井市三輪
崇神天皇の代に宮中を出た大御神を初めてまつった笠縫邑の伝承地のひとつ。本殿はなく、三ツ鳥居を通して拝みます。
天岩戸神社
宮崎県西臼杵郡高千穂町
西本宮は、大御神がこもったと伝わる岩窟「天岩戸」をご神体とする社。川上には神々が相談した天安河原があります。
東京大神宮
東京都千代田区富士見
明治13年(1880年)に伊勢神宮の遥拝殿として創建された「東京のお伊勢さま」。神前結婚式はここから広まりました。
家系図のなかのアマテラス
- 子
- 天忍穂耳命
誓約で生まれた5柱の男神は天照大御神の子とされ、そのひとり天之忍穂耳命の子が邇邇芸命です。『古事記』では伊邪那岐命ひとりから生まれたため母はいませんが、『日本書紀』本文では伊弉冉尊も母にあたります。 上の一覧は『古事記』による関係です。家系図で日本書紀と見くらべる
よくある質問
- アマテラスは男神?女神?
- 女神とするのが一般的です。誓約の場面で、ふだんの髪をほどいて男性の髪型の美豆良に結い直し(『古事記』)、裳を縛って袴にして(『日本書紀』本文)武装していること、弟を「汝兄(なせ)」——女性が兄弟や夫を親しんで呼ぶことば——で呼ぶこと、そして『日本書紀』第七段の一書第三で自ら「吾雖婦女」(わたしは女の身だが)と語ることが根拠です。ただ、中世から江戸時代にかけては男神とみる説も唱えられました。
- 天岩戸はどこにある?
- 記紀では天岩戸は天上の高天原にあり、地上の場所は記されていません。そのため伝承地は各地にあります。宮崎県高千穂町の天岩戸神社では、岩戸川の対岸の断崖にある岩窟を天岩戸として拝み、川上には八百万の神が相談したと伝わる天安河原もあります。
- 八咫鏡と天照大御神の関係は?
- 八咫鏡は天岩戸の前で神々が作り、榊に掛けた鏡です。天孫降臨のとき、天照大御神はこの鏡を自らの御魂としてまつるよう孫に授けました。『日本書紀』第七段の一書第二には、岩屋に鏡を差し入れたとき戸に触れて小さな傷がつき、その傷はいまも残る、これが伊勢にあがめまつる大神である、という伝えまであります。
- 「天照大御神」と「天照大神」の違いは?
- 書物による表記の違いで、同じ神です。『古事記』は天照大御神、『日本書紀』は天照大神と書き、日神・大日孁貴とも呼びます。延暦23年(804年)の『皇太神宮儀式帳』は「天照坐皇太神」と記し、「天照意保比流売命」とも称するとしています。「おおひるめ」の名が、伊勢の記録にも残っているのです。
出典・参考資料
- 『古事記』上巻(武田祐吉訓読)
- 『日本書紀』神代上・神代下
- 『日本書紀』崇神天皇紀・垂仁天皇紀
- 『古語拾遺』
- 『皇太神宮儀式帳』(『群書類従』所収)
- 國學院大學 古事記神名データベース(天照大御神)
- 伊勢神宮 公式サイト(神宮の歴史・神宮の神話・祭典と催し)
- 大神神社 公式サイト(檜原神社)
- 天岩戸神社 公式サイト
- 東京大神宮 公式サイト
- 三重県観光連盟『伊勢志摩のまるごと観光ガイド』
神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。