モイmoy
河口の浜で大きな麻袋を背負ったままひざまずき、白い兎に蒲の穂を差し出す大国主神。まわりに蒲が茂っている
神さま図鑑 No.011

大国主神(おおくにぬしのかみ)

オオクニヌシ・出雲の神々

兎を助けた若者が、国をつくり、目に見えない縁を結ぶ神になるまで

  • 縁結び
  • 健康・長寿
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ひと目でわかるオオクニヌシ

よみおおくにぬしのかみ
別名大穴牟遅神・葦原色許男神・八千矛神・宇都志国玉神(古事記)、大己貴神(日本書紀)、だいこくさま
神格国づくりの神/目に見えない世界(幽事)を治める神
おもなご利益縁結び・病気平癒・産業の発展
神使・ゆかりの生き物白い兎(稲羽の素菟)、鼠(根の国で命を救う)
おもな神社出雲大社(島根県)、大神神社(奈良県)、気多大社(石川県)、神田明神(東京都)
家族父・天之冬衣神、母・刺国若比売(古事記)。正妻・須勢理毘売。子に事代主神・建御名方神・阿遅鉏高日子根神ほか
登場する書物『古事記』上巻、『日本書紀』神代上・下、『出雲国風土記』

原文で読むひとこと

大穴牟遅(おほあなむぢ)の神に帒(ふくろ)を負せ、従者(ともびと)として率(ゐ)て往きき。
『古事記』上巻(武田祐吉訓読)

兄の八十神たちは稲羽へ求婚に向かうとき、大穴牟遅神に袋を背負わせ、従者として連れて行った。のちに国の主となる神は、荷物持ちの若者としてこの一文から物語に登場します。

どんな神さま?

大国主神(おおくにぬしのかみ)は、出雲大社(島根県出雲市)にまつられる、地上の国をつくり固めた神さまです。『古事記』では須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫にあたり、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)・葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)・八千矛神(やちほこのかみ)・宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)とあわせて「五つの名あり」と記されます。場面ごとに呼び名が変わるのは、もとは別々の名で語られていた神話がひとりの神にまとめられたためと、校注者の武田祐吉は注しています。

ただ、物語のはじめの大国主神は、まだ強い神ではありません。兄たちの荷物を背負わされ、行列のいちばん後ろを歩く若者として登場し、傷ついた兎を助け、兄たちのたくらみで二度命を落としてはよみがえり、根の国で須佐之男命の試練をくぐり抜けて、ようやく国の主の名を授かります。少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と国をつくったあとは、その国を天つ神にゆずり、目に見えない世界を治める神として出雲にしずまりました。

神話のなかのオオクニヌシ

稲羽の素菟(因幡の白兎)を助ける

大勢の兄神・八十神(やそがみ)は、稲羽(いなば)の八上比売(やかみひめ)に求婚しようと連れ立って出かけ、大穴牟遅神に袋を背負わせて従者として連れて行きました。気多の前(けたのさき)には、皮をむかれた裸の兎が伏せていました。兄たちは「海水を浴びて、風の当たる高い山の尾根に寝ていよ」と教え、そのとおりにした兎は、塩が乾くにつれて皮が裂け、痛みに泣いていました。

最後に通りかかった大穴牟遅神がわけを尋ねると、兎は、隠岐の島から和邇(わに)を並ばせて海を渡り、だましたことを口にしたため皮をはがれたのだと語ります。大穴牟遅神は「河口の真水で体を洗い、蒲の花粉を敷き散らして、その上を転がりなさい」と教え、兎はもとの体に戻りました。兎は「八十神は八上比売を得られません。袋を背負っていても、姫を得るのはあなたです」と告げ、姫はそのとおり兄たちを退けます。

二度の死と、根の国の試練

姫を奪われた兄たちは、伯伎(ははき)の国の手間の山のふもとで「赤い猪を追い下ろすから受け止めよ」といい、火で焼いた大石を転がし落としました。石に焼きつかれて死んだ大穴牟遅神は、母神の願いで遣わされた蚶貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)に救われ、「麗しき壮夫(うるわしきおとこ)」となってよみがえります。兄たちは今度は大木の割れ目にはさんで殺し、母神がふたたび命を取り戻しました。

逃れた先の根の堅州国(ねのかたすくに)では、須佐之男命の娘・須勢理毘売(すせりびめ)がひと目で心を寄せます。須佐之男命は若者を蛇の室や呉公(むかで)と蜂の室に寝かせ、野に放った鏑矢を取りに行かせて火を放ちました。須勢理毘売の領巾(ひれ)と、「内はほらほら、外はすぶすぶ」と穴のありかを教えた鼠に救われた若者は、眠る須佐之男命の髪を垂木に結びつけ、生大刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)を手に、須勢理毘売を背負って逃げ出しました。

「大国主」の名と、少名毘古那神との国づくり

黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追ってきた須佐之男命は、遠くから「その生大刀と生弓矢で兄たちを追い払い、おれ大国主の神となり、宇都志国玉の神となって、わが娘を正妻とし、宇迦の山のふもとに宮を建てて住め。この奴(やつこ)め」と呼びかけます。叱りつけながら娘婿を認めるこのことばで、若者は初めて「大国主」の名を得ました。

やがて出雲の御大の御前(みほのみさき)に、天の羅摩(かがみ)の船に乗り、鳥の皮をまるごと剥いで仕立てた衣を着た小さな神が、波に乗って寄ってきます(原文の「鵝」を蛾と読む説もあります)。案山子の神・久延毘古(くえびこ)がその名を少名毘古那神と言い当て、ふたりは兄弟となって国をつくり固めました。少名毘古那神が常世の国へ去ったあと、海を照らして現れた神は「吾をば倭の青垣の東の山の上にいつきまつれ」と求め、奈良の三輪山にまつられます。

国をゆずり、天の御舎にしずまる

天照大御神と高木神の使いとして、建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲の伊耶佐(いざさ)の小浜に降り、剣を波頭に逆さに突き立てて、国をゆずるよう迫ります。子の事代主神は承知し、建御名方神は力比べに敗れて科野(しなの)の洲羽(すわ)の海まで逃れました。大国主神は国を差し出す代わりに、天つ神の御子の宮と同じように「底つ石根に宮柱太しり、高天の原に氷木高しりて」まつってくれるなら、自分は隠れていようと答えます。こうして出雲の多芸志(たぎし)の小浜に天の御舎(みあらか)が造られました。出雲大社の始まりとして語られる場面です。

古事記と日本書紀のちがい

系譜は、ふたつの書物で大きく違います。『古事記』の大国主神は、須佐之男命と櫛名田比売の子・八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)から数えて5代あと、天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)と刺国若比売(さしくにわかひめ)の子で、須佐之男命の六世の孫です。ところが『日本書紀』の本文(神代上の第八段)では、素戔嗚尊が奇稲田姫と結ばれて生んだ子が大己貴神(おおあなむちのかみ)で、ふたりは親子になります。同じ段の一書第一は二神の子の五世の孫を大国主神とし、一書第二は二神の子の六世の孫を大己貴命とするなど、日本書紀の中でも伝えが分かれています。

名前の扱いも違います。古事記は5つの名を場面ごとに使い分け、兎を助けるのは大穴牟遅神、根の国では葦原色許男、沼河比売(ぬなかわひめ)への求婚の歌では八千矛神と呼びます。日本書紀は本文でほぼ一貫して大己貴神と書き、第八段の一書第六で、大国主神・大物主神・国作大己貴命・葦原醜男・八千戈神・大国玉神・顕国玉神と7つの名を挙げ、子は181柱いたと記します。三輪山の神・大物主神を大国主神の別名に数えるのは、この一書ならではの伝えです。

語られる物語の量も違います。稲羽の素菟、根の国の試練、八千矛神の歌物語は古事記にしかなく、日本書紀は国づくりと国譲りを中心に語ります。海を照らして現れる神も、古事記では名を明かさず祭祀だけを求めますが、日本書紀の一書第六では、自分は大己貴神の幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)だと名のって三諸山(三輪山)に住むことを望みます。国譲りでも、日本書紀の本文では大己貴神が国を平らげたときに杖にした広矛を差し出し、第九段の一書第二では高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が、目に見える政は皇孫が治め、あなたは神事を治めよと告げて、天日隅宮(あめのひすみのみや)を造ることを約束します。

家系図で二つの書物を切りかえて見る →
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姿のひみつ

この絵は、『古事記』の稲羽の素菟の場面を描いています。兄たちの荷を負わされた若い大穴牟遅神が、蒲の茂る河口近くの浜にひざまずき、白い兎に蒲の穂を差し出すところで、背後には日本海が広がります。神話の時代の神なので、埴輪や記紀の記述から知られる古墳時代の装いで描きました。七福神の大黒さまの頭巾や打出の小槌、米俵は、中世以降に大黒天と重ねられてから生まれた姿なので、ここには描いていません。

  • 両耳のわきで結った髪と、前を紐で結んだ細い筒袖の衣、膝下を結んだ袴

    左右の耳のわきで髪を輪に結う美豆良(みずら)、筒袖の衣、ゆったりした袴の膝下を紐で結ぶ足結(あゆい)は、人物埴輪や記紀からわかる古墳時代の男性の身なりです。兄たちと遠い稲羽まで歩く若者として、動きやすい旅の装いに描いています。

    風俗博物館『日本服飾史』古墳時代「衣、褌の男子」/人物埴輪

  • 生成りの麻の衣と、肩に負った大きな粗い麻袋

    古事記は、八十神が大穴牟遅神に「帒(ふくろ)を負せ、従者として率て往きき」と書きます。中身は兄たちの旅の荷物で、宝を詰めた袋ではありません。染めていない麻の衣にしたのも、行列の最後を歩く従者の立場を表すためです。

    『古事記』上巻「稲羽の素菟」

  • ひざまずいて兎に差し出す蒲の穂

    大穴牟遅神は、河口の真水で体を洗い、「蒲の黄(かまのはな)」を敷いて転がるよう兎に教えました。蒲の花粉は「蒲黄(ほおう)」とよばれ、古くから血止めや痛み止めの薬として用いられてきました。

    『古事記』上巻/國學院大學『古事記』本文注釈「稲羽の素兎」

  • 白い兎

    古事記はこの兎を「素菟(しろうさぎ)」と呼びます。「素」は白の意とされることが多いものの、本居宣長の『古事記伝』は「はだか」の意ではないかと考えました。絵では、蒲の花粉で傷が癒え、白い毛がよみがえったあとの姿として描いています。

    『古事記』上巻/本居宣長『古事記伝』

  • 緑の勾玉と管玉の首飾り、反りのないまっすぐな太刀

    玉をつないだ頸珠(くびたま)と大刀を帯びた姿は、『日本服飾史』が示す古墳時代の男子の装いです。この若者はのちに須佐之男命のもとから生大刀・生弓矢を持ち出し、それで兄たちを追い払って国づくりを始めます。

    風俗博物館『日本服飾史』/『古事記』上巻「根の堅州国」

  • 若く麗しい顔立ち

    ふくよかな老人の大黒さまとは違い、古事記の大穴牟遅神は若者です。貝の女神たちに救われて「麗しき壮夫」となり、根の国では須勢理毘売が父に「いと麗しき神来ましつ」と告げました。その記述にそって、若く整った顔立ちにしています。

    『古事記』上巻「八十神の迫害」「根の堅州国」

ご利益と信仰

出雲大社は大国主大神を縁結びの神としてまつり、その「縁」は男女の仲だけでなく、人を取り巻くあらゆるつながりのことだと説明しています。旧暦10月には全国の神々が出雲に集まり、人の縁などを話し合う「神議り(かむはかり)」をすると伝えられ、出雲大社では神迎祭・神在祭が営まれます。参拝の作法が二礼四拍手一礼で、5月14日の例祭だけは8拍手になるのも出雲大社ならではです。

日本書紀の一書第六は、大己貴命が少彦名命と力を合わせ、人と家畜のために病を治す方法を定め、鳥獣や虫の害をはらうまじないを定めたので、人々はいまもその恵みを受けていると記します。病気平癒や医薬の神として願いをかける人が多いのは、こうした伝えと重なります。三輪山の大神神社も、産業の発展や治病・製薬・造酒・縁結びなど、暮らし全般を守る神として大物主大神をまつっています。

「だいこくさま」の呼び名は、仏教の大黒天との習合から生まれました。大黒天はもとインドの神で、中世以降、神仏習合が進むなかで、袋をかついだ姿と「大国(だいこく)」の音が重なることから大国主神と同一視されます。室町時代には、恵比寿と大黒を並べてまつる風も見られました。

出雲大社の本殿は、古くは高さ16丈(約48メートル)あったと伝えられます。平安時代の教科書『口遊(くちずさみ)』は大きな建物の順を「雲太・和二・京三」と記し、出雲の社を東大寺大仏殿より上に置きました。2000年には境内から、直径約135センチの杉の大木を3本束ねた柱が見つかり、宮司家に伝わる「金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)」の図のとおりだったことが確かめられています。

会いに行ける神社

  • 出雲大社(いづもおおやしろ)

    島根県出雲市

    国譲りのあと大国主神のために造られた宮と伝わる。参拝は二礼四拍手一礼で、境内には兎の像が点在する。

  • 大神神社(おおみわじんじゃ)

    奈良県桜井市

    三輪山を神体として本殿を設けない古い祭祀を伝える。大国主神の幸魂・奇魂とされる大物主大神をまつる。

  • 気多大社(けたたいしゃ)

    石川県羽咋市

    能登国一宮。大己貴命をまつる縁結びの社で、奥宮を囲む「入らずの森」は国の天然記念物。

  • 神田神社(神田明神)

    東京都千代田区

    天平2年(730年)創建と伝わる江戸総鎮守。一之宮に「だいこく様」として大己貴命をまつる。

  • 白兎神社(はくとじんじゃ)

    鳥取県鳥取市

    白兎海岸を望む丘にあり、兎が体を洗ったと伝わる御身洗池がある。まつるのは大国主神ではなく白兎神。

家系図のなかのオオクニヌシ

子
事代主神建御名方神

古事記には、正妻の須勢理毘売のほか、八上比売、宗像の奥津宮の多紀理毘売命、神屋楯比売命、鳥取神との結婚が記され、事代主神は神屋楯比売命の子です。日本書紀の一書第六は、子を181柱とします。 上の一覧は『古事記』による関係です。家系図で日本書紀と見くらべる

よくある質問

大国主と大黒さまは同じ神さま?
出雲大社は、大国主大神と「だいこくさま」は同じ神さまとしたうえで、七福神の大黒天とは正確には別の神さまだとしています。大黒天はもとインドの神で、中世以降、袋をかつぐ姿と「だいこく」という音の共通から大国主神と重ねられました。古事記で大穴牟遅神が背負うのは兄たちの荷物の袋で、宝の袋ではありません。
大国主神はなぜ縁結びの神さまといわれるの?
古事記の大国主神は、八上比売・須勢理毘売・沼河比売など多くの姫と結ばれ、日本書紀の一書には子が181柱いたとあります。さらに国譲りのあと、目に見えない世界を治める神としてしずまったことから、人と人の目に見えないご縁を結ぶ神とされてきました。古事記には、八千矛神として高志(こし)の国の沼河比売に求婚する、長い歌のやりとりも残されています。
大国主と大物主は同じ神さま?
日本書紀の第八段一書第六は、大物主神を大国主神の別名のひとつに数え、海を照らして現れた神が大己貴神の幸魂・奇魂だと名のって三輪山に住んだと記します。大神神社の由緒も、大物主大神を大国主神の別の御魂としています。いっぽう古事記では、三輪山の神は名を明かさないまま祭祀を求める神として描かれ、大国主神の魂だとは書かれていません。
因幡の白兎の「ワニ」は、あの鰐のこと?
古事記の「和邇(わに)」は、熱帯にすむ爬虫類のワニではなく、サメの類と考えるのが一般的です。武田祐吉の注も「フカの類」とし、出雲大社が紹介する昔話でも「ワニ(サメ)」と書かれています。兎は隠岐の島から和邇を海に並ばせ、数を数えるふりをしてその背を渡りました。

出典・参考資料

  • 『古事記』上巻(武田祐吉校註)
  • 『日本書紀』巻第一・巻第二(神代上・神代下)
  • 國學院大學『古事記』神名データベース「大国主神」/本文注釈「稲羽の素兎」
  • 出雲大社 公式サイト
  • 大神神社 公式サイト
  • 気多大社 公式サイト
  • 神田明神 公式サイト
  • 風俗博物館『日本服飾史』
  • 『改訂新版 世界大百科事典』「大黒天」
  • 島根県観光連盟『しまね観光ナビ』「神在祭」

神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。

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