モイmoy
金色の光があふれる岩屋の入り口で、大きな岩の戸を両手で押し動かす天手力男神。生成りの衣に茶色の帯を締め、胸に緑の勾玉を下げている。背後は川の流れる山あい
神さま図鑑 No.008

天手力男神(あめのたぢからおのかみ)

タヂカラオ・高天原の神々

戸の脇に隠れて待ち、ひと息に光を取りもどした手の力の神

  • 勝運・スポーツ
  • 厄除け・開運
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ひと目でわかるタヂカラオ

よみあめのたぢからおのかみ
別名手力男神(『古事記』)・手力雄神/天手力雄神(『日本書紀』『古語拾遺』)・天之手力雄命(湯島天満宮)
神格腕の力の神・天岩戸を開いた神
おもなご利益開運・スポーツ必勝・心願成就
ゆかりのもの天岩戸の岩、弓(伊勢の内宮で御霊代とされた)
おもな神社戸隠神社 奥社・佐那神社・湯島天満宮
家族親・配偶神・子とも記紀に見えない(この神を祖とする氏族も伝わらない)
登場する書物『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『皇太神宮儀式帳』

原文で読むひとこと

岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
『万葉集』巻第三(419番)手持女王

岩戸を破るほどの手の力がほしい。か弱い女の身では、どうすることもできない。——豊前国の鏡山に葬られた河内王(かわちのおおきみ)を悼んで、手持女王(たもちのおおきみ)が詠んだ挽歌です。國學院大學の神名データベースは、この歌の背景に天手力男神の神話を見る説を紹介しています。

どんな神さま?

天手力男神(あめのたぢからおのかみ)は、天の石屋戸にこもった天照大御神を外へ連れ出した神です。名前は「天上界の、手の力の強い男」を意味すると解され、『古事記』の訓読と注釈を手がけた武田祐吉は、ひとことで「力の神格」と注しています。『古事記』にも『日本書紀』にも『古語拾遺』にも、この神が口にした言葉はひとつも記されていません。

記紀を通じてこの神が登場するのは、天岩戸と天孫降臨の2つの場面だけです。岩戸の前では戸の脇に身をひそめて待ち、時が来るとただちに大御神を光のなかへ連れ戻しました。『古事記』の天孫降臨では邇邇芸命に付き添って地上へ降り、伊勢の「佐那の県(さなのあがた)」に鎮まったと記されています。

語る言葉も子孫の系譜も残さず、ただ腕の力で神話に名を刻んだ神です。伊勢の内宮では大御神のかたわらにまつられた記録が残り、信濃の戸隠山や東京の湯島でも祭神となりました。神楽の舞台では、いまも岩戸を開く見せ場を担っています。

神話のなかのタヂカラオ

岩戸の脇に隠れて待つ

岩屋にこもった大御神を呼び戻す手立てが練られたとき、鏡や玉、祝詞や舞が次々に用意されるなかで、天手力男神に割り当てられたのは、「戸の掖(わき)に隠り立ちて」——戸のわきに隠れて立つことでした。『日本書紀』本文は、深く考えをめぐらせた思兼神(おもいかねのかみ)が、計略のひとつとして手力雄神を磐戸のそばに立たせたと記しています。舞も祈りも、この神が手を伸ばす一瞬のための仕掛けだったともいえます。

やがて大御神が戸を細く開け、外のようすをうかがおうと少し身を出したとき、待ちかまえていた天手力男神はすかさずその御手を取り、外へお連れしました。続けて布刀玉命(ふとだまのみこと)が大御神の後ろに縄を引きわたし、「ここより内にな還り入りたまひそ」——ここから内へお戻りになりませんようにと申し上げます。武田祐吉が「シメ縄」と注した縄です。こうして大御神が出てくると、高天原も葦原中国も、おのずから照り明るくなりました。

戸を引き開け、光を満たす

『日本書紀』第七段の一書第三で日の神を動かしたのは、にぎやかな歌舞ではなく、天児屋命(あめのこやねのみこと)が唱えた祝詞でした。それを聞いた日の神は、近ごろ多くの者が願い出たが、これほど美しい言葉はなかったと言って、磐戸を細く開けてのぞきます。そのとき戸のそばに控えていた天手力雄神が戸を引き開けると、日の神の光が天地四方(六合)に満ちわたりました。神々は大いに喜んだといいます。

『古語拾遺』も、神々の歌舞のにぎわいを不思議に思った大御神が戸を少し開けたところで、天手力雄神に扉を引き開けさせ、新しい御殿へお移ししたと記します。その御殿のまわりには天児屋命と太玉命が日の御綱(ひのみつな)をめぐらせました。『古語拾遺』はこの綱を、いまのしりくめ縄のことで、日の光の形をかたどったものだと注しています。

天孫に従い、伊勢の佐那へ

天手力男神の名は、天孫降臨の場面にもう一度現れます。天照大御神は孫の邇邇芸命を地上へ降すとき、かつて自分を岩屋から招き出した勾玉と鏡、そして草薙の剣を授け、さらに思金神、手力男神、天石門別神(あめのいわとわけのかみ)を付き添わせました。天石門別神は御門を守る神で、武田祐吉は「岩戸の神話における岩屋戸の神格」と注しています。岩戸を開けた神と、岩戸そのものの神が、そろって天孫のお供をしたことになります。

『古事記』はお供の神々がどこにまつられたかを順に記し、その最後に「手力男の神は、佐那の県にませり」と書きます。佐那は伊勢の国の地名で、三重県多気郡多気町仁田の佐那神社は、『延喜式』の神名帳にも「佐那神社二座」と記された古い社です。神話の結びに記された地名が、いまも神社の名として残っています。

古事記と日本書紀のちがい

大御神を外へ連れ出したやり方は、書物によって2通りに分かれます。『古事記』と『日本書紀』本文(第七段)では、戸を少し開けた大御神の手を取って引き出します。一方、第七段の一書第三と『古語拾遺』では、細く開いた戸そのものを引き開けており、大御神の手に触れる場面はありません。

名前の書き方も一様ではありません。『古事記』は天手力男神(手力男神とも)、『日本書紀』本文は「天」のつかない手力雄神、一書第三と『古語拾遺』は天手力雄神と書きます。また、天孫降臨に付き添って佐那の県に鎮まったという話は『古事記』だけのもので、『日本書紀』の第九段は本文にも一書にもこの神の名を記していません。『古語拾遺』の天孫降臨でも、付き添う神として名が挙がるのは天児屋命・太玉命・天鈿女命の3柱です。

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姿のひみつ

天岩戸が開く瞬間に、天手力男神が自然の岩でできた戸を両手で押し動かす場面です。『古事記』と『日本書紀』本文では大御神の手を取りますが、大御神の姿を描かずにこの神の働きを伝えるため、戸を開けたとする一書第三と『古語拾遺』の伝えによりました。伊勢神宮も戸隠神社も、この神が岩戸を押し開いたと紹介しています。左手には川の流れる山あいを置き、八百万の神が集まって相談した天の安の河原を思わせる景色にしました。

  • 両手で押して動かす、自然石の岩の戸

    『古事記』は「天の石屋戸」、『日本書紀』は「磐戸」と書き、どちらも石の戸です。武田祐吉は「イハ」を堅固さを表す言葉と注し、墳墓の入口の石の戸とみる説も紹介しています。『万葉集』にも、葬られた王を「鏡の山の岩戸立て隠りにけらし」と詠んだ歌があります。そこで蝶番のついた木の扉ではなく、1枚の大きな岩として描きました。

    『古事記』上巻(天の岩戸)・武田祐吉注/『万葉集』巻第三

  • 岩屋の奥からあふれ出る金色の光

    一書第三は、戸が引き開けられた瞬間に日の神の光が天地四方に満ちたと語り、『古事記』も、大御神が出てくると高天原と葦原中国がおのずから照り明るくなったと記します。光の主である大御神は描かず、岩屋の奥からあふれる金色の光だけで、戸の向こうにいる存在を表しました。

    『日本書紀』第七段 一書第三/『古事記』上巻(天の岩戸)

  • 紐でたくし上げた袖と、たくましい腕

    名前の「手力」が示すとおり、この神の本領は腕の力です。國學院大學の神名データベースは、名を手の力の強い男とする説が多いと紹介しています。同じ岩戸の場面では、天宇受売命がつる草を「手次(たすき)」にかけて舞っており、たすきは神話にも登場する身なりの品です。力をさまたげないよう、袖を紐でたくし上げています。

    國學院大學『古事記』神名データベース/『古事記』上巻(天の岩戸)

  • 頭の上で短く輪に結った髪

    古墳時代の男性の髪形は、左右に分けた髪を耳の横で束ねて輪をつくる美豆良(みずら)が基本でした。この絵では、全身で岩を押す動きのじゃまにならないよう、輪を短くまとめて頭の上で結んだ形にしています。美豆良を少し変えた、力仕事のための髪形として描きました。

    風俗博物館『日本服飾史』「衣、褌の男子」

  • 生成りの麻の衣と茶色の布の帯、膝下を紐で結んだ袴

    記紀は天手力男神の身なりを何も伝えません。手本にしたのは、風俗博物館が記紀の記述と埴輪を照らし合わせて復元した古墳時代の装束です。袖の細い衣に、たっぷりした褌(はかま)をはいて腰を布の帯で締め、袴の裾は足結(あゆい)と呼ぶ紐で膝の下にくくります。色の記述もないため、衣は染めない麻の生成りにしています。

    風俗博物館『日本服飾史』「衣、褌の男子」

  • 紐に通した大きな緑の勾玉ひとつ

    古墳時代の男子は、玉を連ねた頸珠(くびたま)を首にかけた姿で復元されています。岩戸の前でも、真賢木(まさかき)の上の枝に八尺の勾玉の連なりが掛けられました。この絵では、腕の動きをさまたげないよう、緑の大きな勾玉をひとつだけ紐で下げています。

    『古事記』上巻(天の岩戸)/風俗博物館『日本服飾史』

ご利益と信仰

天手力男神は、伊勢の神宮でも天照大御神のすぐそばにまつられてきました。内宮の禰宜(ねぎ)たちが延暦23年(804年)にまとめて差し出した『皇太神宮儀式帳』は、内宮の正殿に大御神と同じ殿でまつる神を2柱挙げ、左に天手力男神、右に皇孫の母の万幡豊秋津姫命(よろずはたとよあきつひめのみこと)を記しています。御霊代(霊御形)は、天手力男神が弓、万幡豊秋津姫命が剣でした。岩戸から大御神を連れ出した神は、伊勢では弓を依りどころとして、大御神のかたわらに控える神とされていたのです。

信濃の戸隠神社では、奥社の始まりを、無双の神力で天の岩戸を開いて大御神を導いた天手力雄命を戸隠山のふもとにまつったことと伝えています。戸隠は中世から近世にかけて、神仏習合の顕光寺のもとで修験道の霊場として栄え、明治初年の神仏分離によって神社として歩むことになりました。

いまこの神に寄せられる願いで目立つのは、開運とスポーツの必勝です。戸隠神社は奥社の御神徳として開運・心願成就・五穀豊熟・スポーツ必勝などを挙げており、全国から多くの崇敬者が約2キロの参道を歩いて登拝します。東京の湯島天満宮も、創建時の祭神を天之手力雄命と伝える社です。

神楽の舞台でも、この神は欠かせない役どころです。宮崎県高千穂町の「高千穂の夜神楽」33番には「手力雄(たぢからお)」と「戸取(ととり)」があり、高千穂神社の神楽殿で毎晩公開される高千穂神楽でも、天照大神を見つけ出す「手力雄の舞」と、天岩戸を開く勇壮な「戸取の舞」が舞われています。

会いに行ける神社

  • 戸隠神社 奥社

    長野県長野市戸隠

    天手力雄命をまつる戸隠神社の御本社。随神門から400年を超えて守られてきた杉並木が続き、立春と立冬には、鳥居から随神門へのびる参道の延長線上から朝日が昇ります。

  • 佐那神社

    三重県多気郡多気町仁田

    『古事記』が手力男神の鎮まる地と記す「佐那の県」の社。天手力男神と曙立王(あけたつのみこ)を主祭神としてまつります。

  • 湯島天満宮

    東京都文京区湯島

    雄略天皇2年(458年)の創建と伝わり、はじめは天之手力雄命をまつった社。正平10年(1355年)に菅原道真公が合祀されました。

よくある質問

戸隠山はタヂカラオが投げた岩戸?
記紀には、岩戸を投げたという話は出てきません。これは信濃の戸隠に伝わる話で、戸隠神社は、手力雄命が岩戸を押し開いて大御神を迎えたとき、その岩戸が下界に落ちて戸隠山になったという伝説を紹介しています。戸隠神社には奥社の天手力雄命のほか、中社に岩戸開きの計略を立てた天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)、火之御子社に岩戸の前で舞った天鈿女命がまつられ、岩戸開きの神々がひとつの山にそろっています。
「たぢからお」と「たじからお」、どちらの読み?
國學院大學の神名データベースは、歴史的仮名遣いで「あめのたぢからをのかみ」、現代仮名遣いで「あめのたぢからおのかみ」と示しています。「手(た)」と「力(ちから)」が合わさって「ち」が濁った言葉なので、「ぢ」と書くのがもとの形です。一方で「タジカラオ」と表記されることもあり、戸隠神社の由緒紹介のように「たちからお」と振りがなを添える例もあります。
タヂカラオを祖先とする氏族はいる?
伝わっていません。『古事記』は天孫降臨に従った神々について、天児屋命は中臣連の祖、布刀玉命は忌部首の祖、天宇受売命は猿女君の祖というように子孫の氏族を書き添えますが、手力男神にはそうした記述がありません。『世界大百科事典』も、この神を祖先神とする後裔氏族はないとしています。宮廷の祭りを担った氏族の祖ではなく、腕の力そのものを神格化した存在として語られてきた神だといえます。

出典・参考資料

  • 『古事記』上巻(武田祐吉訓読)
  • 『日本書紀』神代上(第七段)・神代下(第九段)
  • 『古語拾遺』
  • 『皇太神宮儀式帳』(『群書類従』所収)
  • 『万葉集』巻第三
  • 國學院大學『古事記』神名データベース(天手力男神)
  • 『改訂新版 世界大百科事典』(手力雄神)
  • 『精選版 日本国語大辞典』『日本歴史地名大系』(佐那神社)
  • 風俗博物館『日本服飾史』(衣、褌の男子)
  • 伊勢神宮 公式サイト(神宮の神話)
  • 戸隠神社 公式サイト(戸隠神社の歴史)
  • 湯島天満宮 公式サイト(由緒・歴史)
  • 高千穂町観光協会 公式サイト(高千穂神楽)

神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。

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