モイmoy
剣を手に立つ須佐之男命。背後では背に木の生えた八岐大蛇が、並んだ酒槽に八つの頭を入れて酒を飲んでいる
神さま図鑑 No.006

須佐之男命(すさのおのみこと)

スサノオ・高天原の神々

泣いて山を枯らした暴れ神が、出雲で大蛇を斬る英雄に

  • 厄除け・開運
  • 縁結び
  • 健康・長寿
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ひと目でわかるスサノオ

よみすさのおのみこと(建速須佐之男命 たけはやすさのおのみこと)
別名素戔嗚尊(日本書紀)・神須佐能袁命(出雲国風土記)・牛頭天王(神仏習合で同一視)
神格嵐の神・出雲の英雄神
おもなご利益厄除け・疫病除け・縁結び
神使・ゆかりの生き物八岐大蛇(退治した大蛇)
おもな神社八坂神社・氷川神社・須佐神社・須我神社・八重垣神社
家族父 伊邪那岐命/姉 天照大御神・兄 月読命/妻 櫛名田比売/子 八島士奴美神・大年神・宇迦之御魂神・須勢理毘売ほか
登場する書物『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』『古語拾遺』

原文で読むひとこと

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
『古事記』上巻(須賀の宮)

幾重にも雲がわき立つ出雲で、妻をこもらせるために幾重もの垣をめぐらす。ああ、その八重垣よ。——須賀に宮を建てたとき、立ちのぼる雲を見て詠んだ歌です。

どんな神さま?

泣きわめいて山を枯らし、姉を岩屋に追いこみ、やがて出雲で大蛇を斬って妻を守る。須佐之男命(すさのおのみこと)は、伊邪那岐命が鼻を洗ったときに生まれた天照大御神の弟で、記紀の神々のなかでもとりわけ振れ幅の大きい神です。『古事記』での名は建速須佐之男命。「建」は勇猛、「速」は勢いの速さを表すとされます。

前半の須佐之男命は、ゆだねられた海原をおさめず、高天原では田を荒らして天岩戸の事件を引き起こす暴れ神です。ところが追放されて出雲に降りると、八岐大蛇を退治して櫛名田比売を救い、宮を建てて、のちに和歌のはじまりとたたえられる歌を詠みます。最後は根の堅州国の主として、大国主神に国づくりを託す側に回ります。

『出雲国風土記』には土地の神としての姿も残り、京都の祇園社(八坂神社)では疫病を払う牛頭天王と同じ神とされてきました。恐れられるほどの荒々しさと、人を災いから守る力。その両面をあわせ持つところに、この神の魅力があります。

神話のなかのスサノオ

泣きいさちる神

父から海原をゆだねられた須佐之男命は、国をおさめようとせず、あごのひげが胸元まで伸びるほどの年月、泣き叫び続けました。その泣き方はすさまじく、緑の山は枯れ山に変わり、川と海の水は干上がって、荒ぶる神々のざわめきが初夏の蝿のようにわき起こり、ありとあらゆる災いが生じたといいます。

なぜ泣くのかと問われて、須佐之男命は「僕は妣の国根の堅洲国に罷らむとおもふがからに哭く」——亡き母のいる地の底の国へ行きたいのだと答えました。伊邪那岐命は激しく怒り、この国に住むことを許さず追い払います。『古事記』では父ひとりから生まれた神が、会ったこともない母を慕って泣くのです。

高天原での乱暴と追放

別れを告げに高天原へ上った須佐之男命は、姉の疑いを晴らすために誓約を行い、自分の剣からやさしい女神が生まれたことを心の清さの証しとして、勝ちを名のりました。勢いに乗った須佐之男命は、姉の田の畔を壊して溝を埋め、新穀を召し上がる御殿を汚し、ついには機屋の屋根に穴を開けて、皮をはいだ馬を投げ入れます。

天照大御神が天岩戸にこもって世界が闇に包まれると、八百万の神は須佐之男命に千座の置戸(ちくらのおきど)、つまりたくさんの償いの品を負わせ、ひげと手足の爪を切ってけがれを祓い、高天原から追い払いました。畔を壊す、溝を埋める、生きた馬の皮をはぐといった行いは、のちの大祓詞で「天つ罪」として数えられるものと重なっています。

八岐大蛇を退治する

出雲の肥の河の上流、鳥髪(とりかみ)に降りた須佐之男命は、川上から箸が流れてくるのを見て人の住まいがあると知り、泣いている老夫婦と娘に出会います。国つ神の足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の娘はもとは8人いましたが、毎年やってくる大蛇に食われ、残るは櫛名田比売(くしなだひめ)ひとりでした。大蛇の体は、谷8つ、峰8つにまたがるほど巨大でした。

須佐之男命は天照大御神の弟だと名のって娘を妻にもらい受け、娘を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に変えて自分の美豆良に挿しました。そして強い八塩折の酒を醸させ、垣に設けた8つの門ごとに酒船を置いて待ちます。大蛇は頭を酒船に入れて飲み、酔って眠りこんだところを十拳剣で斬り刻まれました。中ほどの尾を斬ったとき剣の刃が欠け、尾を裂くとひと振りの大刀が現れます。これが草薙の大刀で、須佐之男命は姉の天照大御神に献上しました。

須賀の宮と、根の堅州国の主

大蛇を退治した須佐之男命は、宮を建てる地を出雲に探し、須賀に来て「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言い、そこに宮を作りました。このとき立ちのぼる雲を見て詠んだのが「八雲立つ」の歌です。妻の父の足名椎は宮の長に任じられ、稲田の宮主須賀の八耳の神の名を与えられました。

物語の終わりに、須佐之男命は地の底の根の堅州国の主として再び現れます。娘の須勢理毘売と結ばれた大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)に、蛇やむかでの部屋、火に包まれる野といった試練を課しながら、最後には大国主神となって国をおさめよと送り出しました。かつて追われた荒ぶる神が、次の世代に国づくりを託したのです。

古事記と日本書紀のちがい

生まれと役目の段階から、記紀の須佐之男命は別の顔を見せます。『古事記』の須佐之男命は伊邪那岐命の鼻から生まれて海原をゆだねられますが、『日本書紀』本文では伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神の子で、勇ましく残忍な性質で、いつも泣いてばかりいたため、人々を若死にさせ青山を枯らしたとして、はじめから根の国へ追いやられます。第五段の一書第六では天下を、一書第十一では滄海原をゆだねられていて、受け持ちも伝えごとに違います。

罰の中身も、『古事記』がひげと手足の爪を切るのに対し、『日本書紀』本文は髪を抜かせて罪をあがなわせたとし、手足の爪を抜いたという言い伝えも添えています。第七段の一書第三は、姉の田がよい田ばかりなのに自分の田はやせ地ばかりで、それをねたんで荒らしたと乱暴のわけを語り、追放のあと長雨のなか青草を束ねた笠と蓑で宿を乞うても、どの神にも断られたと記します。これが、笠蓑のまま他人の家に入ることを忌む習わしの由来とされています。

大蛇退治の舞台も、伝えによって移ります。『古事記』と『日本書紀』本文は出雲の川の上流ですが、第八段の一書第二は安芸国の可愛(え)の川上、一書第四は子の五十猛神(いたけるのかみ)を連れて新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降り、「この地には居たくない」と土の舟で出雲へ渡ったと伝えます。大国主神との関係も、『古事記』では須佐之男命から6代あとの子孫、『日本書紀』本文では実の子(大己貴神)です。一書第五には、ひげを杉、胸毛を檜、尻の毛を槙、眉毛を樟(くすのき)に変え、杉と樟は舟に、檜は宮に、槙は棺に使えと定めた話も残ります。

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姿のひみつ

出雲の肥の河の上流で、八岐大蛇と向き合い、剣を手に立つ場面です。江戸から明治の錦絵では鎧兜の武者として描かれることも多い須佐之男命ですが、その鎧や兜は記紀に書かれていません。そこで、記紀が書かれる前の古墳時代の男子埴輪にならい、左右の耳もとで輪にした美豆良、膝下を結んだ袴、太い帯の装いにしました。

  • 美豆良に挿した赤い櫛

    須佐之男命は櫛名田比売を湯津爪櫛に変えて、自分の美豆良に挿してから大蛇に挑みました。武田祐吉は、女性が魂をこめた櫛を男性の美豆良に挿すのは婚姻の習わしだと注しています。絵の赤い櫛は、その場にいない櫛名田比売そのものです。色は原典にないため、遠目にも櫛とわかる赤にしました。

    『古事記』上巻(八俣の大蛇)・武田祐吉注/『日本書紀』第八段 本文

  • 短く整えたひげ

    『古事記』の須佐之男命は、ひげが胸元に届くまで泣き続けた神です。けれど天岩戸の事件のあと、神々にひげと手足の爪を切られて高天原を追われました。大蛇退治はそのあとの出来事なので、ひげは短く、若々しい顔で描いています。

    『古事記』上巻(三貴子の分治・天の岩戸)

  • まっすぐな長い剣

    大蛇を斬ったのは腰に佩いていた十拳剣(とつかのつるぎ)で、こぶし10個分ほどの長さを表す名とされます。『古語拾遺』はこの剣を天羽々斬(あめのはばきり)と呼び、石上神宮にあると記します。刀身はそりのない古墳時代の大刀にならい、鍔も古墳時代の飾り大刀に例のあるかたちで描きました。

    『古事記』上巻(八俣の大蛇)/『古語拾遺』

  • 8つの頭の大蛇と赤い目

    『古事記』は大蛇の目をほおずきのように赤いとし、ひとつの体に8つの頭と8つの尾があり、体には苔や檜・杉が生えていると描きます。『日本書紀』本文では背に松栢が生えています。手足や翼のある竜ではなく、記紀のことばどおり、木々をまとった巨大な蛇の姿にしました。

    『古事記』上巻(八俣の大蛇)/『日本書紀』第八段 本文

  • 8つの箱形の酒槽

    須佐之男命は強い八塩折の酒を醸させ、門ごとに酒船を置きました。武田祐吉は「フネは箱状のもの」と注し、『日本書紀』本文も8つの棚にそれぞれ槽を置いたと記します。そのため、木の箱形の容器に頭を差し入れて飲む姿で描いています。

    『古事記』上巻・武田祐吉注/『日本書紀』第八段 本文

  • 嵐の雲と藍色の衣、勾玉

    天へ上るときに山川がとどろき国土が揺れたこと、泣き声で山や海を枯らしたことから、須佐之男命は暴風の神とも解されます。尾から出た剣のもとの名・天叢雲剣も、大蛇の上につねに雲気があったためと『日本書紀』の注は伝えます。衣の藍は嵐の空を思わせる色として選び、勾玉は『日本書紀』第六段の一書第三が左右の美豆良と首に玉の連なりをつけていたと記すことによります。

    『古事記』上巻・武田祐吉注/『日本書紀』第六段 一書第三・第八段 本文

ご利益と信仰

京都の八坂神社は、明治元年(1868年)まで祇園社・祇園感神院と呼ばれました。主祭神の須佐之男命(素戔嗚尊)は、かつて牛頭天王とも称され、薬師如来を本地仏として疫病を払う神と仰がれてきました。貞観11年(869年)、疫病の流行に際して当時の国の数と同じ66本の矛を立てて祈った祇園御霊会が、祇園祭のはじまりと伝えられます。

疫病除けの信仰は、蘇民将来の話にもつながります。『備後国風土記』の逸文によると、旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうのかみ)を、豊かな弟は断り、貧しい兄の蘇民将来は粟の飯でもてなしました。年を経て戻った神は、蘇民将来の娘に茅の輪を腰につけさせて災いから守ると、「吾は速須佐雄の神なり」と名のり、後の世に疫病がはやれば蘇民将来の子孫と言って茅の輪をつけよと教えたといいます。夏越の祓の茅の輪くぐりや「蘇民将来子孫」の札は、この話と結びついています。

出雲では、土地に根ざした神の姿も見えます。『出雲国風土記』には、須佐の地を小さいがよい国だとして、自分の名を木や石ではなく土地につけ、御魂を鎮めたという話が残り、須佐神社はその地にまつられています。櫛名田比売とともにまつる八重垣神社や須我神社は、縁結びや夫婦円満を願う人に親しまれ、須我神社は和歌発祥の地も名のります。『古今和歌集』の仮名序も、三十一文字の歌は須佐之男命から詠まれはじめたと記しています。

関東では、さいたま市の氷川神社を中心に、須佐之男命をまつる氷川神社が荒川の流域に数多くあります。神社によれば、その数は北海道から鹿児島まで約280社にのぼるといいます。厄除けや疫病除け、縁結びを願う人が多い神さまです。

会いに行ける神社

  • 八坂神社

    京都府京都市東山区祇園町北側

    「祇園さん」と親しまれる、須佐之男命をまつる代表的な社。7月の祇園祭は、疫病退散を願う祇園御霊会に始まります。

  • 氷川神社(武蔵一宮)

    埼玉県さいたま市大宮区高鼻町

    須佐之男命・稲田姫命・大己貴命をまつる。「大宮」の地名は、この社を「大いなる宮居」とたたえたことに由来します。

  • 須佐神社

    島根県出雲市佐田町

    『出雲国風土記』で須佐之男命が自らの御魂を鎮めたと伝わる地の社。妻の稲田比売命と、その父母もまつります。

  • 須我神社

    島根県雲南市大東町須賀

    『古事記』の須賀の宮の地と伝え、「日本初之宮」「和歌発祥の地」を名のる社。2キロほど離れたところに奥宮があります。

  • 八重垣神社

    島根県松江市佐草町

    大蛇退治のあいだ稲田姫を八重垣の内に隠したと伝わる縁結びの社。奥の院に鏡の池があります。

家系図のなかのスサノオ

きょうだい
蛭子火之迦具土神大山津見神天照大御神月読命
配偶者
櫛名田比売神大市比売
子
市杵島姫命宇迦之御魂神

『古事記』では、櫛名田比売との子・八島士奴美神の系譜から、須佐之男命の6代あとの子孫として大国主神が生まれ、娘の須勢理毘売はその大国主神の正妻になります。大山津見神の娘・神大市比売との間には、穀物の神の大年神と宇迦之御魂神が生まれました。 上の一覧は『古事記』による関係です。家系図で日本書紀と見くらべる

よくある質問

スサノオはなぜ追放された?
追放は二度あります。一度目は、ゆだねられた海原をおさめず、母の国へ行きたいと泣き続けたため、父の伊邪那岐命に追われました。二度目は、高天原で田を荒らし、機屋に皮をはいだ馬を投げ込むなどして天照大御神を天岩戸にこもらせた罪によるもので、八百万の神に償いの品を負わされ、ひげと手足の爪を切られて追い出されています。
スサノオは善い神?悪い神?
どちらか一方には決めにくい神です。高天原では秩序を壊す側ですが、出雲では娘を救って大蛇を退治し、根の堅州国では大国主神を試したうえで国づくりを託します。國學院大學の神名データベースは、『日本書紀』本文が邪心のある悪神としてはっきり描くのに対し、『古事記』は乱暴に邪心があったとは記していない点を挙げています。
祇園の牛頭天王とスサノオは同じ神?
神仏習合の時代に同じ神とされました。八坂神社によると、主祭神の素戔嗚尊はかつて牛頭天王とも称され、薬師如来を本地仏として疫病除けの祈りを集めていました。明治の神仏分離で仏教的な名前が改められ、祇園社も八坂神社と名を変えて、いまは素戔嗚尊としてまつられています。
草薙剣はスサノオの剣?
大蛇を斬ったのは須佐之男命が佩いていた十拳剣で、草薙剣は大蛇の尾の中から見つかった別の剣です。須佐之男命は不思議な剣だとして天照大御神に献上し、のちに天孫降臨で邇邇芸命に授けられました。『日本書紀』の注は、大蛇の上につねに雲気があったことからもとの名を天叢雲剣とし、日本武尊のときに草薙剣と改められたと伝えます。

出典・参考資料

  • 『古事記』上巻(武田祐吉訓読)
  • 『日本書紀』神代上(第五段〜第八段)
  • 『古語拾遺』
  • 『出雲国風土記』
  • 『備後国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)
  • 『古今和歌集』仮名序
  • 國學院大學 古事記神名データベース(建速須佐之男命)
  • 八坂神社 公式サイト
  • 武蔵一宮 氷川神社 公式サイト
  • 須佐神社 公式サイト
  • 八重垣神社 公式サイト
  • 雲南市 公式サイト(須我神社)

神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。

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