モイmoy
満月の夜、鈴の馬具をつけた葦毛の馬に乗る月読命。腰に太刀を佩き、足もとには銀色の波が寄せている
神さま図鑑 No.005

月読命(つくよみのみこと)

ツクヨミ・高天原の神々

夜の国をゆだねられ、物語から静かに姿を消した月の神

  • 五穀豊穣・食
  • 旅・交通安全・海
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ひと目でわかるツクヨミ

よみつくよみのみこと(伊勢の神宮では「つきよみ」)
別名月神・月夜見尊・月読尊・月弓尊(日本書紀)
神格月の神・夜をおさめる神・暦の神
おもなご利益暦・農耕・航海の守り、安産(京都の月読神社)
神使・ゆかりの生き物馬(『皇太神宮儀式帳』の御形)
おもな神社月読宮(内宮別宮)・月夜見宮(外宮別宮)
家族父 伊邪那岐命/姉 天照大御神/弟 須佐之男命
登場する書物『古事記』『日本書紀』『万葉集』『皇太神宮儀式帳』

原文で読むひとこと

汝が命は夜の食国を知らせ
『古事記』上巻(武田祐吉訓読)

あなたは夜の国をおさめなさい。——伊邪那岐命が月読命に与えた命令で、『古事記』が月読命について語るのはここまでです。

どんな神さま?

夜の国をおさめなさい——。月読命(つくよみのみこと)が『古事記』で父の伊邪那岐命から受けた命令は、これだけでした。天照大御神・須佐之男命とともに「三柱の貴子」と呼ばれる尊い神でありながら、この場面のあと、物語には一度も姿を見せません。

姉と弟が誓約や天岩戸、大蛇退治と次々に活躍するなかで、月読命だけが空白のまま残されています。その空白を少しだけ埋めてくれるのが『日本書紀』の異伝で、そこでは食物の神を斬って姉の怒りを買い、昼と夜が分かれるきっかけをつくった神として描かれます。

名前の「つくよみ」は、月を読む、すなわち月の満ち欠けを数えることに通じるとされ、伊勢の神宮も「月の満ち欠けを教え暦を司る神」と説明しています。夜を照らす光であると同時に、日々を数える物差しでもあった月の神です。

神話のなかのツクヨミ

右の目から生まれ、夜の国をゆだねられる

黄泉の国から戻った伊邪那岐命が阿波岐原で禊をしたとき、右の目をすすいで生まれたのが月読命です。父は3柱の子にそれぞれおさめる世界を割り振り、姉には高天原、弟には海原、そして月読命には「夜の食国(よるのおすくに)」を与えました。「食国」はおさめる国のことで、武田祐吉は「夜の領国」と注しています。

『日本書紀』の本文は、日の神に続いて生まれた月の神について「其光彩亜日」——その光の美しさは日に次ぐ——と記し、日と並んで天をおさめるのにふさわしいとして天へ送ったと語ります。日と月を一対の光として並べる考え方が、よく表れた一節です。

保食神を斬り、昼と夜が分かれる

『日本書紀』第五段の一書第十一によると、天照大神は、地上に保食神(うけもちのかみ)がいると聞いて、月夜見尊(月読命)を遣わしました。保食神は国のほうを向いて口から飯を、海に向かって大小の魚を、山に向かって毛の粗い獣と柔らかい獣を吐き出し、たくさんの机に並べてもてなします。

月夜見尊は、けがらわしい、口から吐いたものを食べさせるのかと怒って剣を抜き、保食神を打ち殺してしまいました。報告を聞いた天照大神は激しく怒り、「汝是悪神、不須相見」(おまえは悪い神だ、もう会うまい)と言って、それからは月夜見尊と一日一夜を隔てて住むようになります。日と月が昼と夜に分かれて現れるわけを語る、日月分離の神話です。

その後、保食神の亡骸からは牛と馬、粟、蚕、稗、稲、麦と豆が生まれ、天照大神はこれを人々の食べ物の種と定めました。

歌と風土記に残る月の神

物語の少ない月読命ですが、『万葉集』では月そのものが「月読」「月夜見」と呼ばれ、月読壮士(つくよみをとこ)や月人をとこのように、若い男性の姿にたとえて詠まれました。「天の海に 月の舟浮け 桂梶 掛けて漕ぐ見ゆ 月人をとこ」は、夜空を海に、月を舟に見立てて、桂の梶で漕ぐ若者を思い描いた歌です。

巻十三には、「月夜見の持てるをち水」を取ってきて君に差し上げ、若返ってほしいと願う歌もあります。満ち欠けをくり返す月を再生の象徴とみる考え方があったとされます。また『山城国風土記』の逸文には、月読尊が保食神のもとへ降りたとき神聖な桂の木に寄りかかって立ち、そこが「桂の里」と呼ばれるようになったという地名の由来が伝わります(後の時代の作とみる説もあります)。

古事記と日本書紀のちがい

月読命の受け持つ世界は、伝えごとに揺れ動きます。『古事記』は夜の食国。『日本書紀』本文では日と並んで天をおさめ、第五段の一書第一では伊弉諾尊が右手に持った白銅鏡から月弓尊として現れて、日神とともに天地を照らす役を与えられます。一書第六は生まれ方こそ『古事記』と同じ右目からですが、ゆだねられたのは「滄海原の潮の八百重」、つまり海でした。一書第十一では再び、日と並んで天のことをつかさどる役目です。夜・天・海と居場所が定まらないところに、この神の謎があります。

名前の書き方も一定しません。『古事記』は月読命だけですが、『日本書紀』は月神と書いたうえで、異伝の名として月弓尊・月夜見尊・月読尊を挙げます。國學院大學の神名データベースによれば、古い発音では「読」と「夜」の「よ」は別の音(上代特殊仮名遣いの乙類と甲類)だったと考えられ、もとは別々の伝えにあった名がひとつの神にまとめられた可能性も指摘されています。

食物の神を殺す役も入れ替わっています。『日本書紀』で保食神を斬るのは月夜見尊ですが、『古事記』では須佐之男命が大気都比売神(おおげつひめのかみ)を殺し、その体から蚕や稲の種が生まれます。海をおさめる役も、『古事記』では須佐之男命のものです。

家系図で二つの書物を切りかえて見る →
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姿のひみつ

延暦23年(804年)の『皇太神宮儀式帳』は、月読宮にまつる月読命の御形(みかたち)を「馬乗男形、紫御衣を着、金作の帯大刀を佩く」と記しています。記紀には月読命の姿かたちを語る一文がないため、この記録をそのまま絵にし、満月の夜に馬を進める姿としました。装いは、記紀が編まれるより前の古墳時代の男子埴輪に見られる、左右で輪にした美豆良、細めの袖の衣、膝下を結んだ袴を手本にしています。

  • 馬に乗る姿

    『皇太神宮儀式帳』の「馬乗男形」がこの絵の出発点です。『続日本紀』宝亀3年(772年)には、木を抜き家を壊すほどの風雨の原因を占うと伊勢の月読神の祟りと出たため、毎年9月に荒祭神にならって馬を奉ることにしたとあり、馬との縁は古くから深いものでした。毛色は記録にないので、月明かりになじむ葦毛にしています。

    『皇太神宮儀式帳』月読宮/『続日本紀』宝亀3年8月条

  • 紫の衣と淡い緑の勾玉

    衣の色は『儀式帳』の「紫御衣を着」によります。図鑑の天照大御神は白を基調にしているので、紫はきょうだいのなかで月読命を見分ける色にもなっています。首には、夜の光になじむ淡い緑の勾玉を掛けました。

    『皇太神宮儀式帳』月読宮

  • 腰に佩いた金飾りのまっすぐな太刀

    「金作の帯大刀を佩く」という記述から、古墳時代の金銅で飾った大刀のように、そりのない刀身に金の飾りをつけて描きました。『日本書紀』一書第十一で、保食神を斬った剣を思わせる持ち物でもあります。

    『皇太神宮儀式帳』月読宮/『日本書紀』第五段 一書第十一

  • 鈴や房のついた馬具

    馬の飾りは古墳時代の出土品にならいました。埼玉県熊谷市上中条から出土した馬形埴輪(重要文化財)には、6つの鈴をつけた鏡板、胸に下げた4つの馬鐸、尻の三鈴杏葉が表されています。神の乗る馬を、記紀より古い時代の飾り馬の姿で描いています。

    馬形埴輪(埼玉県熊谷市上中条出土・東京国立博物館蔵)

  • 大きな満月と銀色の波

    『古事記』で月読命がゆだねられたのは夜の国、『日本書紀』一書第六では「滄海原の潮の八百重」すなわち海でした。月と海の結びつきは、月の満ち欠けと潮の満ち引きの関係から生まれた信仰と考えられています。夜空と波を一枚に描き込んだのはそのためです。

    『古事記』上巻/『日本書紀』第五段 一書第六

  • 桂の木

    月と桂を結ぶ考えは古代中国に由来するとされ、『万葉集』にも桂の梶で月の舟を漕ぐ月人をとこが詠まれています。『山城国風土記』の逸文では、月読尊が神聖な桂の木に寄りかかって立ったことが「桂の里」の名の由来とされます。

    『万葉集』巻十/『山城国風土記』逸文

ご利益と信仰

伊勢の神宮には、月読命をまつる別宮がふたつあります。内宮の別宮・月読宮は『皇太神宮儀式帳』に「月読宮一院、正殿四区」と記され、いまも月読荒御魂宮、父母をまつる伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮と4つの宮が並びます。外宮の別宮・月夜見宮は、『延喜式』では「月夜見社」として外宮の摂社の筆頭に置かれ、承元4年(1210年)に別宮となりました。外宮の北御門からまっすぐ延びる「神路通り」の先に鎮まっています。

京都・松尾の月読神社は、『日本書紀』顕宗天皇3年の記事に始まると伝わります。任那へ遣わされた使者の前で、月神が人に神がかりして土地を求め、山背国葛野郡の歌荒樔田(うたあらすだ)が奉られて、壱岐の押見宿禰(おしみのすくね)がまつりました。この月神は高皇産霊を祖と名のっており、記紀の月読命と同じ神かどうかには議論がありますが、神社の由緒では天文・暦・占い・航海の神から、のちに農耕の神として崇められるようになったとされます。境内の月延石は安産の信仰で知られます。

東北では、出羽三山のひとつ月山(山形県)の山頂に月山神社が鎮まります。江戸時代までは神仏習合の修験の山で、月読命をまつるようになったのは明治以降のことです。暦や農耕、航海の守り、そして安産と、月の満ち欠けにかかわる願いが寄せられてきた神さまといえます。

会いに行ける神社

  • 月読宮(伊勢神宮 内宮別宮)

    三重県伊勢市中村町

    月読命と荒御魂、父母神の4宮が並ぶ内宮の別宮。月読宮から月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順に参るのが一般的です。

  • 月夜見宮(伊勢神宮 外宮別宮)

    三重県伊勢市宮後

    月夜見尊と荒御魂をひとつの社殿にまつる外宮の別宮。外宮の北御門から延びる神路通りの先にあります。

  • 月読神社(松尾大社摂社)

    京都府京都市西京区松室山添町

    『日本書紀』顕宗天皇3年の月神の記事に始まると伝わる古社。境内の月延石から、安産祈願の社として知られます。

  • 月山神社

    山形県東田川郡庄内町(月山山頂)

    出羽三山の月山の頂に鎮まる社で、明治以降は月読命をまつります。山頂の本宮に参れるのは夏から初秋の開山期間のみです。

家系図のなかのツクヨミ

きょうだい
蛭子火之迦具土神大山津見神天照大御神須佐之男命

『古事記』では伊邪那岐命ひとりの禊から生まれたため母はいません。『日本書紀』本文では伊弉諾尊と伊弉冉尊の子とされ、伊勢の月読宮のとなりに父母をまつる伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮が並ぶのも、この伝えによるものです。 上の一覧は『古事記』による関係です。家系図で日本書紀と見くらべる

よくある質問

ツクヨミの神話が少ないのはなぜ?
『古事記』では夜の国をゆだねられたあと一度も登場せず、武田祐吉も注で「神話は伝わらない」と記しています。『日本書紀』の異伝で月の神が担っている海の支配や食物の神を殺す役が、『古事記』では須佐之男命のものになっていることから、もとは日と月の一対の神話に須佐之男命が加わって三柱となり、月の神の役割がそちらへ移ったとみる説があります。
ツクヨミは男神?女神?
記紀に性別の記述はありませんが、男神とするのが一般的です。『皇太神宮儀式帳』は月読宮の神の御形を「馬乗男形」と記し、『万葉集』も月を「月読壮士(つくよみをとこ)」「月人をとこ」と男性にたとえて詠んでいます。
「月読」と「月夜見」、どちらが正しい?
どちらも古くからの表記です。『古事記』は月読命、『日本書紀』は月夜見尊・月読尊・月弓尊を併記し、伊勢の神宮でも内宮の月読宮と外宮の月夜見宮で字が違います。読み方は、『古事記』の訓読では「つくよみ」、伊勢の神宮では「つきよみ」としています。
ツクヨミと月のウサギは関係ある?
記紀や『皇太神宮儀式帳』のどこを探しても、月読命とウサギの組み合わせは出てきません。月にウサギがいるという話はインドの仏教説話に見られ、日本では『今昔物語集』などに収められて広まりました。月読命と結びつくのは、ウサギよりもむしろ馬と桂の木です。

出典・参考資料

  • 『古事記』上巻(武田祐吉訓読)
  • 『日本書紀』神代上(第五段 本文・一書)
  • 『日本書紀』顕宗天皇紀
  • 『続日本紀』宝亀3年8月条
  • 『皇太神宮儀式帳』(『群書類従』所収)
  • 『万葉集』巻10・巻13
  • 『山城国風土記』逸文
  • 國學院大學 古事記神名データベース(月読命)
  • 伊勢神宮 公式サイト(月読宮・月夜見宮)
  • 松尾大社 月読神社 公式サイト
  • 出羽三山神社 公式サイト
  • 文化遺産オンライン(馬形埴輪 埼玉県熊谷市上中条出土)

神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。

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