
ひと目でわかるえびす
| よみ | えびす(えべっさん・おえびすさん) |
|---|---|
| 別名・表記 | 恵比須・戎・夷・蛭子、えびす大神(西宮神社)、夷三郎 |
| 神格 | 漁の神・市の神から広まった福の神。七福神の一柱 |
| おもなご利益 | 商売繁盛・大漁満足・海上安全・福徳円満 |
| 神使・ゆかりの生き物 | 鯛。漁村では浜に寄る鯨などもえびすと呼んで祀った |
| おもな神社 | 西宮神社(兵庫県)、今宮戎神社(大阪府)、美保神社(島根県)、京都ゑびす神社(京都府) |
| 家族 | 蛭子説では伊邪那岐命・伊邪那美命の子、事代主神説では大国主神と神屋楯比売命の子 |
| 登場する書物 | 記紀に「えびす」の名はなし(蛭子・事代主神として登場)。『伊呂波字類抄』『諸社禁忌』 |
原文で読むひとこと
世をすくふ 夷の神の ちかひには 洩らさじものを 数ならぬ身も
世の人を救うという夷(えびす)の神の誓いからは、数にも入らないこの身であっても、もれることはないはずだ。広田社に奉納された歌合で「夷の神」を詠んだ、早い時期の一首です。
どんな神さま?
恵比寿(えびす)は、右手に釣竿を持ち、左わきに鯛を抱えた姿で知られる福の神です。七福神のなかでただ一柱、日本で生まれた神さまで、関西では「えべっさん」と呼ばれます。1月の十日えびすには、商売繁盛を願う人々が福笹を求めて集まります。
ところが『古事記』『日本書紀』に「えびす」という名の神は出てきません。えびすに当てる夷・戎の字はもともと遠い土地の人を指し、海のかなたから寄ってくるものを幸として迎える、海辺の人々の信仰に根ざした神と考えられています。この海から来る神を記紀のどの神にあてるかで、ふたつの説が生まれました。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の子の蛭子(ひるこ)とする説と、大国主神の子の事代主神(ことしろぬしのかみ)とする説です。
神話のなかのえびす
葦の船で流された最初の子
『古事記』では、伊邪那岐命と伊邪那美命が天の御柱をめぐって結ばれるとき、女神のほうが先に声をかけたために、最初の子・水蛭子(ひるこ)が生まれます。この子は葦船に入れて流され、次に生まれた淡島とともに、ふたりの子の数には入れられませんでした。
『日本書紀』の本文では、蛭児は日の神・月の神に続く3番目の子です。3歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(あまのいわくすぶね)に乗せて風のままに放たれました。流されたあとのことを、記紀は何も語りません。
平安時代、『日本書紀』の講義を終えた祝いの宴で、書中の神や人を題に詠まれた日本紀竟宴和歌には、大江朝綱の「かぞいろは あはれと見ずや 蛭の子は 三歳になりぬ 脚立たずして」が残ります。この子は、哀れな神として心を寄せられていました。
美保の岬で魚をとっていた神
国譲りの場面で、建御雷神から国を譲るよう迫られた大国主神は、返事をわが子に委ねます。「八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)が答えるべきだが、鳥の狩りや魚とりに御大(みほ)の岬へ出かけて、まだ戻らない」というのです。
呼び戻された事代主神は、この国は天つ神の御子に差し上げるべきだと父に告げました。そして乗っていた船を踏み傾け、天の逆手を打って、青柴垣(あおふしがき)の中に身を隠します(『古事記』上巻)。国の行方を決める大事な返事をしたのは、海辺で漁をしていた神だったのです。この「魚とり」をする姿が、のちに釣竿を持つえびすさまと重ねられていきます。
網にかかった御神像
西宮神社に伝わる話では、昔、鳴尾(いまの兵庫県西宮市)の漁師が沖で網を引くと、人形とも神像ともつかないものがかかりました。魚ではないので海に戻し、西へ進んで神戸の和田岬のあたりで網を入れると、また同じ像が上がってきます。
漁師が持ち帰って祀ると、夢に像があらわれ、「われは蛭児の神である。ここより西に良い宮地がある」と告げました。漁師たちが輿に乗せて西へお連れし、こうして鎮まったのが、いまの西宮の地だと伝わります。記紀が語らなかった流された子のその後を、海辺の人々はこうして語り継いできました。
古事記と日本書紀のちがい
えびすさまと記紀の関係は、記紀に名のない神を、後の時代にどの神へあてたかにあります。蛭子説をとる西宮神社は、えびす大神を蛭児大神とし、『古事記』の水蛭子と『日本書紀』の蛭児が船で流された話に重ねています。
その蛭子の生まれ方は、書物ごとにまちまちです。『古事記』と『日本書紀』第四段の一書第一では最初の子として葦船で流され、同じ段の一書第十では淡路洲の次に生まれます。第五段の本文と一書第二では日の神・月の神に次ぐ3番目の子で、3歳になっても脚が立たないため船で流されました。船の名も、本文は天磐櫲樟船、一書第二は鳥磐櫲樟船(とりのいわくすぶね)です。えびすさまの別名「夷三郎(えびすさぶろう)」については、江戸時代はじめの『慶長見聞集』に説明があります。伊邪那岐命の子を一女三男とし、蛭子は天照大神から数えて3番目の弟、つまり三男だから「三郎殿」だというのです。ただ、中世の『伊呂波字類抄』や『諸社禁忌』では、広田社のなかに「夷」と「三郎殿」が別々の社として並んでいます。
事代主神説は、事代主神を祀る美保神社や今宮戎神社がとる説です。こちらも描き方に差があり、『古事記』は御大の岬で鳥の狩りと魚とりをしていたとし、『日本書紀』第九段の本文は三穂の碕で釣りを楽しみとしていたと書きます。同じ段の一書第一では、三津の碕で鳥を射て遊んでいたとあり、釣りの話は出てきません。このほか、神田明神(東京)のように少彦名命(すくなひこなのみこと)をえびすさまとして祀る社もあります。
家系図で二つの書物を切りかえて見る →姿のひみつ
この絵は、風折烏帽子に狩衣と指貫を着け、釣竿と鯛を持つという、えびすさまの決まった姿にならっています。辞書にも「風折り烏帽子に狩衣、指貫を着け、釣りざおで鯛を釣りあげている姿」とあり、美保神社や今宮戎神社も、右手に釣竿、左わきに鯛を抱えた姿を伝えています。場面は、波の寄せる海辺の岩の上です。
先の折れた高い黒い烏帽子(風折烏帽子)
立烏帽子の頂を、風に吹き折られたように折り伏せた烏帽子で、狩衣を着るときにかぶりました。辞書には、右に折るものは上皇、左に折るものは一般の人が用いたとあります。儀式の冠ではなく、くつろいだ装いの帽子をかぶっているところに、えびすさまの姿の特徴があります。
『デジタル大辞泉』『精選版 日本国語大辞典』「風折烏帽子」
狩衣(かりぎぬ)と指貫(さしぬき)
狩衣はもとは狩りのための服で、動きやすさから平安時代以降の貴族のふだん着になりました。指貫は、裾を紐でくくってふくらませる袴です。束帯のような儀式の正装ではなく、浜に出て釣り糸を垂れられる身軽な装いで描かれています。
有職故実(狩衣装束)
右手の竹の釣竿
竿は、海の幸をもたらす漁の神であることのしるしです。西宮神社も、鯛と釣竿を持つ姿を、えびすさまが古くから漁業の神として信仰されてきたことと結びつけて説明しています。事代主神説では、『日本書紀』で三穂の碕の釣りを楽しんでいた姿と重ねられます。
西宮神社「西宮神社について」/『日本書紀』巻第二 神代下 第九段 本文
左わきに抱えた大きな赤い鯛
鯛は姿が美しく、名が「めでたい」に通じることから、祝い膳に尾頭つきで出される縁起のよい魚です。漁の神の獲物が、そのまま祝いの魚にもなっているわけです。美保神社は、事代主神を「鯛を手にする福徳円満の神」として紹介しています。
『デジタル大辞泉』「鯛」/美保神社「ご祭神・ご由緒」
竹で編んだ魚籠(びく)
魚籠は、釣った魚を入れておく籠です。網で一度にとるのではなく、竿で一尾ずつ釣り上げる漁の場面であることを、この籠で示しました。えびす講では、生きた魚を水鉢に入れてえびすさまに供える土地もあります。
『日本大百科全書』「えびす講」
海辺の岩と寄せる波
えびすさまは、海の幸をもたらす「寄り神」として海辺の信仰に根ざした神さまです。漁村では、魚群を追って寄ってくる鯨や鮫、漁のはじめに海から拾い上げた石までもえびすと呼んで祀りました。西宮神社の御神像も、海の中から網で引き上げられたと伝わります。
『日本大百科全書』「七福神」/『精選版 日本国語大辞典』「恵比須」
ご利益と信仰
「えびす」の名が記録に見えはじめるのは平安時代の後期で、承安2年(1172年)の『広田社歌合』には、すでに「夷の神」を詠んだ歌があります。西宮神社のもとは広田神社に属する浜の社で、中世の『伊呂波字類抄』は「夷」の本地仏(神のもとの姿とされた仏)を毘沙門天、『諸社禁忌』は不動明王としています。のちに福の神として親しまれるにつれ、本地は阿弥陀如来とされるようになりました。
海辺に市が立つと、えびすさまは市の守り神となり、やがて商売の神になっていきます。西宮は西国街道の宿場町として市が開かれ、今宮戎神社でも平安時代後期に四天王寺の西門で「浜の市」が開かれて、その守り神として祀られました。室町時代には福の神の代表として七福神に加わり、大黒さまと並べて祀る習わしも生まれます。
信仰を全国へ運んだのは人の足でした。西宮の「えびすかき」と呼ばれる傀儡師(くぐつ)が、人形を操りながら、えびすさまの姿を刷った御神影札(おみえふだ)を配り歩きました。江戸時代には、西宮神社が4代将軍徳川家綱から御神影札の版権を得て、全国に広めています。漁村では海の神、農村では田の神、町では商いの神として説かれたため、ご利益も漁業・海上交通・商売・農耕と幅広くなりました。
いまの代表的な祭りは、1月9日から11日の十日えびすです。旧暦10月20日ごろには、商家や農家で「えびす講」も営まれてきました。神々が出雲へ集まる神無月にも、えびすさまは留守を守る神だから出かけない、と説明する土地もあります。
会いに行ける神社
西宮神社(にしのみやじんじゃ)
兵庫県西宮市
えびす宮総本社。第1殿にえびす大神(蛭児大神)を祀る。十日えびすの1月10日早朝、開門神事の「走り参り」が福男選びとして知られる。
今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
大阪府大阪市浪速区
事代主神をえびすさまとして祀る。四天王寺西門の「浜の市」の守り神として信仰され、1月9日から11日の十日戎は商売繁盛を願う人でにぎわう。
美保神社(みほじんじゃ)
島根県松江市
事代主神と三穂津姫命を祀り、事代主神を祀るえびす社の総本宮を名のる。国譲りを再現する青柴垣神事と諸手船神事が伝わる。
京都ゑびす神社(きょうとえびすじんじゃ)
京都府京都市東山区
建仁2年(1202年)、栄西が建仁寺を建てる際に鎮守として建てたと伝わる。十日ゑびすの福笹は、もとこの社の御札の形だったと伝えている。
家系図のなかのえびす
記紀に名がないため、家系図では蛭子(伊邪那岐命・伊邪那美命の子)と事代主神(大国主神の子)の二か所に結びつきます。どちらをとるかは、祀る神社によって異なります。
よくある質問
- えびすさまは七福神でただ一柱の日本の神さま?
- はい。七福神のうち、大黒天・毘沙門天・弁財天はインドの神、福禄寿・寿老人・布袋は中国に由来し、日本の神はえびすさまだけです。七福神の顔ぶれは室町時代のはじめにはそろっていたとされ、応永27年(1420年)には京都で七福神の風流(ふりゅう)の行列が出たと伝わります。
- えびすさまの正体は蛭子?事代主神?
- ひとつには決まっていません。記紀に「えびす」の名がないため、海から来る神・漁をする神という共通点から、後の時代に結びつけられたものです。西宮神社は蛭児大神、美保神社と今宮戎神社は事代主神としています。お参りする神社の祭神名を見れば、その社がどちらの説をとっているかがわかります。
- 十日えびすの福笹にはどんな意味がある?
- 京都ゑびす神社によると、福笹は、もとは同社が授けていた御札の形です。竹は節目正しくまっすぐ伸び、しなって折れにくく、葉が落ちずに青々と茂ることから、家運隆昌・商売繁盛のしるしとされました。笹には大宝や福俵、福鯛などの縁起物を結んで持ち帰ります。
- えびすさまの呼び名は地方で違う?
- 西宮神社によると、関西では「えべっさん」、東海地方では「おいべっさん」、北陸地方では「おおべっさま」、関東から北では「おえびすさん」と呼ばれています。表記も恵比寿・恵比須・戎・夷・蛭子とさまざまで、今宮戎神社や京都ゑびす神社のように、社名に使う字も神社ごとに違います。
出典・参考資料
- 『古事記』上巻
- 『日本書紀』巻第一 神代上(第四段・第五段)、巻第二 神代下(第九段)
- 國學院大學『古事記』神名データベース「水蛭子」「事代主神」
- 西宮神社 公式サイト
- 美保神社 公式サイト
- 今宮戎神社 公式サイト
- 京都ゑびす神社 公式サイト
- 神田明神 公式サイト
- 喜田貞吉『夷三郎考』
- 『日本大百科全書』「七福神」「えびす講」
- 『精選版 日本国語大辞典』「恵比須」「風折烏帽子」
- 『広田社歌合』(承安2年)
神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。