モイmoy
黒い雲を裂く稲妻の下、波頭に柄を突き立てた剣の切っ先の上であぐらを組み、両手をひざに置く建御雷神。小札の鎧に緑の勾玉を下げ、浜から1頭の鹿が見守っている
神さま図鑑 No.015

建御雷神(たけみかづちのかみ)

タケミカヅチ・天孫降臨の神々

波頭に立てた剣の切っ先に座し、国を譲らせた雷の神

  • 勝運・スポーツ
  • 厄除け・開運
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ひと目でわかるタケミカヅチ

よみたけみかづちのかみ(古事記では建御雷之男神・たけみかづちのおのかみとも)
別名建布都神・豊布都神(古事記)、武甕槌神・武甕雷神(日本書紀)、健御賀豆智命(春日祭の祝詞)、鹿島さま
神格雷と剣の神/国譲りを成しとげた武神
おもなご利益勝運・武道上達、厄除け、旅立ちと航海の守り
神使・ゆかりの生き物鹿(鹿島神宮・春日大社の神鹿)、鯰(要石の言い伝え)
おもな神社鹿島神宮(茨城県)、春日大社(奈良県)、鹽竈神社(宮城県)
家族伊邪那岐命が斬った迦具土神の血から生まれる。国譲りの段では剣の神・伊都之尾羽張神の子(古事記)
登場する書物『古事記』上巻・中巻、『日本書紀』神代上・神代下・神武天皇紀、『古語拾遺』

原文で読むひとこと

十掬(とつか)の剣を抜きて浪の穂に逆に刺し立てて、その剣の前(さき)に趺(あぐ)み坐(ゐ)て
『古事記』上巻(武田祐吉訓読)

長い剣を抜いて波頭に逆さに突き立て、その切っ先にあぐらをかいて座り。出雲の浜に降りた建御雷神が、大国主神に国譲りを問いただしたときの姿です。

どんな神さま?

建御雷神(たけみかづちのかみ)は、天照大御神と高木神の命を受けて出雲に降り、大国主神に国を譲らせた神です。打ち寄せる波の上に長い剣を逆さに立て、その切っ先にあぐらをかいて問いただす姿は、記紀の神々のなかでもとりわけ鮮烈です。名の「建」は勇ましさ、「ミカ」はいかめしさを表すとされ、「雷」の字のとおり雷の神であると同時に、剣の威力そのものを神とした剣の神と考えられています。

茨城県の鹿島神宮の祭神として「鹿島さま」と呼ばれ、奈良時代には藤原氏の氏神として春日大社にも迎えられました。勝負や武道の神、旅立ちを守る神として仰がれ、神の使いとされる鹿や、地震を起こす鯰を押さえる要石の言い伝えも、この神のまわりで生まれています。

神話のなかのタケミカヅチ

火の神を斬った剣から生まれる

伊邪那岐命が、妻の死の原因となった火の神・迦具土神(かぐつち)の首を十拳剣で斬ったとき、剣の先、根元、柄に付いた血から神々が生まれました。根元の血が神聖な岩の群れに飛び散って成ったのが、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、そして建御雷之男神です。この剣の名は天之尾羽張(あめのおはばり)、またの名を伊都之尾羽張といいました。

武田祐吉は、岩の神、火の力の神、剣の威力の神、水の神と続くこの段を、鉄の鉱石を火で処理して刀剣を得る過程を語ったものと注し、建御雷之男神を「劒の威力」としています。『古事記』は建布都神(たけふつのかみ)・豊布都神という別名も挙げており、「フツ」はものを断ち切るさまを表す言葉とされます。

鹿の神に呼ばれ、波頭の剣に坐す

三度目の国譲りの使いを選ぶとき、神々がまず名を挙げたのは、天の安の河の上流の石屋にいる伊都之尾羽張神でした。迦具土神を斬ったあの剣の神です。この神は川の水をせき止めて道をふさいでいるので、ほかの神は近づけません。そこで天迦久神(あめのかくのかみ)が問いに遣わされると、尾羽張神は「この役目には、わたしの子の建御雷神を遣わすべきです」と答えました。武田祐吉は、天迦久神を鹿の神霊と注しています。

天鳥船神を伴って出雲の伊耶佐(いざさ)の小浜に降りた建御雷神は、十掬剣を抜いて波頭に逆さに刺し立て、その切っ先にあぐらをかいて、大国主神に国を譲る気はあるかと問いました。事代主神(ことしろぬしのかみ)が承知し、建御名方神(たけみなかたのかみ)の挑戦も、手を氷や剣の刃に変えて退けて諏訪の湖まで追いつめると、最後に大国主神の承諾を得ます。天に戻った建御雷神は、葦原中国を「言向け和平(ことむけやわ)し」たと報告しました。

熊野の倉に降した剣

時代がくだり、神武天皇が東へ進んで熊野に着いたとき、大きな熊がちらりと現れて消え、天皇も兵士たちも気を失って倒れてしまいました。そこへ熊野の高倉下(たかくらじ)が一振りの太刀を献上すると、天皇は目を覚まし、熊野の山の荒ぶる神々はひとりでに切り倒されます。

高倉下が見た夢では、天照大御神と高木神が建御雷神に、もう一度降りて騒がしい地上を平らげるよう命じていました。建御雷神は「わたしが降りなくても、あの国を平らげた太刀があります」と答え、高倉下の倉の屋根に穴をあけて太刀を落とし入れると告げたのです。『古事記』はこの太刀を佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神、布都御魂(ふつのみたま)と呼び、石上神宮に坐すと記します。『日本書紀』でも、武甕雷神が自分の剣を韴霊(ふつのみたま)と名のり、翌朝、倉の床板に逆さに突き立った剣が見つかりました。

古事記と日本書紀のちがい

『日本書紀』巻第二 神代下第九段の本文で、国譲りの使いとして最初に選ばれるのは経津主神(ふつぬしのかみ)です。そこへ武甕槌神が進み出て、「経津主神だけが勇士で、わたしは勇士ではないというのか」と言い、その意気の激しさから経津主神に添えて遣わされました。経津主神は『古事記』には一度も登場せず、反対に『古事記』で建御雷神に同行する天鳥船神は、この本文には出てきません。

降り立った姿も違います。『古事記』が剣を波頭に立てたとするのに対し、書紀の本文は剣を地面に逆さに植え、その切っ先に踞(うずくま)ったと書きます。系譜も、本文では稜威雄走神(いつのおはしりのかみ)、甕速日神、熯速日神(ひのはやひのかみ)と続く家の末に武甕槌神を置き、神代上第五段の一書第六は、甕速日神を武甕槌神の祖としつつ、剣の鐔から滴った血から直接生まれたとする別伝も添えています。神代下第九段の一書第二には、天にいる悪い神・天津甕星(あまつみかほし)を先に討ちたいと、経津主神と武甕槌神が申し出る話もあります。

鹿島の神と結びつけて書くのは、記紀より後の書物です。奈良時代の『常陸国風土記』は鹿島の神を「香島の天の大神」と呼び、天から降って国を平らげた神としながら、名は記しません。武甕槌神を「今の常陸国の鹿嶋の神」と明記するのは大同2年(807年)の『古語拾遺』で、経津主神は下総国の香取の神とされます。出雲国造が代替わりのたびに宮廷で述べた「出雲国造神賀詞」は、国を鎮めるために天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)に布都怒志命(ふつぬしのみこと)を添えて降したと語り、建御雷神の名を挙げていません。

家系図で二つの書物を切りかえて見る →
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姿のひみつ

出雲の浜で、波頭に逆さに立てた長い剣の切っ先にあぐらをかき、大国主神に国譲りを迫る場面を描いています。後の時代の大鎧や反った刀ではなく、古墳の埴輪や出土品から復元された鎧と直刀を選んだのは、記紀に語られる神の時代に近い姿で表すためです。背後の空には稲妻が走り、浜からは1頭の鹿が見守っています。

  • 波頭に柄を突き立てた、反りのないまっすぐな長い剣

    『古事記』は、建御雷神が剣を抜いて波頭に逆さに刺し立てたと書き、武田祐吉は波の高みに剣先を上にして立てたと注しています。剣は、反りのある後世の刀ではなく、反りのないまっすぐな剣にしました。鹿島神宮には、全長2.7メートルを超え、伝世品として日本最古最大とされる国宝の直刀が伝わります。

    『古事記』上巻(武田祐吉注)/鹿島神宮「武甕槌大神と韴霊剣」

  • 剣の切っ先の上で組んだあぐらと、ひざに置いた両手

    原文の「趺(あぐ)み坐(ゐ)て」は、足を組んで座ることです。剣を握らず、ひざに手を置いた落ち着いた姿にしたのは、この場面の建御雷神が、まず言葉で国の主に問いただしているからです。天に戻ったあとも、地上を「言向け和平し」たと報告しました。『日本書紀』の本文では、地面に立てた剣の先に踞る姿です。

    『古事記』上巻/『日本書紀』巻第二 神代下 第九段 本文

  • 小さな鉄の板を紐で綴じた鎧(挂甲)と、美豆良・足結・勾玉の装い

    挂甲は、小札(こざね)と呼ばれる小さな鉄片を革や組紐で綴った鎧で、5世紀後半ごろ大陸から伝わり、武人埴輪にも表されています。その下は、美豆良に筒袖の衣、足結で結んだ袴、首の勾玉という古墳時代の男子の装いです。風俗博物館が埴輪や発掘品から復元した姿を手がかりにしました。

    風俗博物館『日本服飾史』「挂甲をつけた武将」「衣、褌の男子」/『改訂新版 世界大百科事典』「挂甲」

  • 黒い雲を裂いて走る稲妻

    名に「雷」をもつこの神は、雷の神でもあると考えられています。世界大百科事典は、雷のひらめきが剣のきらめきを思わせることから、建布都神・豊布都神という剣の名も持つと説明します。熊野で倉の屋根を穿って剣を落とした場面を、落雷になぞらえる説もあります。

    『改訂新版 世界大百科事典』「武甕槌神」/國學院大學『古事記』神名データベース「建御雷之男神」

  • 浜から見守る1頭の鹿

    建御雷神を呼び出す使いとなった天迦久神を、武田祐吉は鹿の神霊と注しています。鹿島神宮はこの話から鹿を神の使いとして大切にし、春日大社は、奈良時代に神が常陸国から白い鹿に乗って御蓋山(みかさやま)へ来たと伝えています。

    『古事記』上巻(武田祐吉注)/鹿島神宮 公式サイト/春日大社 公式サイト

ご利益と信仰

鹿島神宮は、武甕槌大神を古くからの勝負の神、武道の神として、必勝や武道上達の祈願を受けています。武道の場ともなった鹿島からは、塚原卜伝を祖とする剣術・鹿島新当流が生まれました。源頼朝や徳川家康も社領を寄せ、現在の本殿は元和5年(1619年)に徳川秀忠が寄進したものです。拝殿と本殿が北を向いて建つのもこの神宮の大きな特徴で、蝦夷の平定に関わった武神の性格を示すものとみられています。

旅の守りの信仰は「鹿島立ち」という言葉に残ります。旅立ちを意味するこの言葉は、防人(さきもり)などが旅立つ前に鹿島神宮で道中の無事を祈ったことに始まるとも、鹿島・香取の神が国土を平定した故事によるともいわれ、鹿島神宮も旅立ちを守る神として旅行安全を祈っています。『常陸国風土記』には毎年7月に舟を造って津宮に納めるとあり、12年に一度、午年に行われる水上の御船祭は、令和8年(2026年)9月にも斎行されました。

厄除けの信仰を象徴するのが、奥宮の南にある要石です。地中深く埋まって地震を起こす鯰の頭を押さえていると伝えられ、水戸の徳川光圀が7日7晩掘らせても底に届かなかったという話もあります。江戸時代の歌舞伎『暫』(1714年)には「動かぬ鹿島の要石」というせりふがあり、鎌倉時代の『鹿島宮社例伝記』は、鹿島の大明神が降臨したときこの石に座ったと記しています。もとは神が降りる磐座だったと考えられています。

奈良の春日大社では、神護景雲2年(768年)に称徳天皇の命で本殿が造営され、武甕槌命が経津主命・天児屋根命・比売神とともに祀られました。藤原氏の氏神として、宝亀8年(777年)には内大臣藤原良継の病気平癒を願って、鹿島の神に正三位が授けられています。

会いに行ける神社

  • 鹿島神宮(かしまじんぐう)

    茨城県鹿嶋市

    常陸国一宮。北を向く社殿、要石、神鹿の鹿園があり、12年に一度の午年には水上の大祭・御船祭が行われる。

  • 春日大社(かすがたいしゃ)

    奈良県奈良市

    神護景雲2年(768年)に本殿が造営され、武甕槌命を経津主命らとともに祀る。神が白い鹿に乗って来たことから鹿を神の使いとする。

  • 鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

    宮城県塩竈市

    別宮に塩土老翁神、左宮に武甕槌神、右宮に経津主神を祀る。一森山の境内からは松島の島々を望む。

  • 石上神宮(いそのかみじんぐう)

    奈良県天理市

    建御雷神が熊野へ降した剣を、主祭神の布都御魂大神として祀る。『延喜式』の名神大社で、拝殿は国宝。

家系図のなかのタケミカヅチ

親
火之迦具土神

家系図では、伊邪那岐命が斬った迦具土神の血から生まれた神として示しています。『古事記』の国譲りの段では、その剣の神・伊都之尾羽張神の子とも呼ばれ、『日本書紀』本文では稜威雄走神の曾孫にあたります。 上の一覧は『古事記』による関係です。家系図で日本書紀と見くらべる

よくある質問

建御雷神と経津主神は同じ神さま?
記紀では別の神として語られます。『日本書紀』本文では経津主神が主役に選ばれ、武甕槌神がみずから名のり出て加わりました。『古語拾遺』は経津主神を香取の神、武甕槌神を鹿嶋の神とし、2柱は、かつての広い内海をはさんで向かい合う香取神宮と鹿島神宮に祀られています。もとは同じ神だったとする説や、物部氏の祀る経津主神の神話を、中臣氏の祀る建御雷神が主役の話に変えたとする説など、研究者の見方は分かれています。
なぜ剣の切っ先に座ったの?
原典に理由は書かれていません。世界大百科事典は、その姿が石や岩、山や水などに象徴される国つ神をおどすのに十分で、剣は荒ぶる国を平らげる武力と権威のしるしだったと説明しています。日本大百科全書も、剣先に座る姿や、自分の代わりに剣を降す熊野の話に、剣の神であることのあかしを見ています。
鹿島神宮の鹿は、昔からいるの?
鹿島神宮によると、古くは神鹿が山野に自由に暮らしていましたが、江戸時代ごろから人とたびたび摩擦を起こし、元和4年(1618年)には幕府の禁札も立てられたものの、幕末にはほとんどいなくなりました。いまの鹿園は、昭和32年に奈良の春日大社から3頭、東京の神田明神から2頭を迎えて開かれたもので、平成25年には北口本宮冨士浅間神社からも5頭が加わり、20頭ほどが飼われています。
布都御魂の剣は、鹿島と石上のどちらにある?
『古事記』は、熊野に降された太刀が石上神宮に坐すと記します。鹿島神宮も、韴霊剣は神武天皇のもとで宮中に祀られたのち、崇神天皇7年に石上へ遷され、いまも石上神宮の神体山に埋め納められていると伝えています。鹿島神宮に伝わる国宝の直刀は、剣が鹿島に戻らなかったことから「二代目の韴霊剣」と解釈されています。

出典・参考資料

  • 『古事記』上巻・中巻(武田祐吉校註)
  • 『日本書紀』巻第一 神代上(第五段)・巻第二 神代下(第九段)・巻第三 神武天皇
  • 『古語拾遺』
  • 『常陸国風土記』香島郡
  • 『延喜式』巻第八 祝詞「春日祭」「出雲国造神賀詞」
  • 國學院大學『古事記』神名データベース「建御雷之男神」
  • 鹿島神宮 公式サイト
  • 春日大社 公式サイト
  • 志波彦神社・鹽竈神社 公式サイト
  • 『改訂新版 世界大百科事典』「武甕槌神」「鹿島神宮」「挂甲」
  • 『日本大百科全書』「武甕槌神」「鹿島立ち」「要石」
  • 『精選版 日本国語大辞典』「要石」「石上神宮」
  • 『日本歴史地名大系』「鹿島神宮」「石上神宮」
  • 風俗博物館『日本服飾史』

神話の解釈やご利益には諸説があります。図鑑の書き方と絵の考え方はこの図鑑についてをご覧ください。

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